熊本地震の体験談
4月14日の前震からはじまった熊本地震。我が家は少し落ち着いてきたので、その体験をまとめました。
4月14日 前震
この日、私は懇親会を開催しており、熊本市中央区の繁華街にいました。19:00に開始した懇親会は大変盛り上がり、まさに宴もたけなわでしたが21:20ごろお開きに。お店を出て前の路地で二次会はどうしようかとワイワイしている時に激しい揺れに襲われました。4月14日21:26に起きたいわゆる前震です。かなり強い揺れを感じましたが、この時は間一髪で屋外に出ていて皆と一緒にいたこと、お酒が入っていたのもあって正直そこまで大事とは思っていませんでした。もちろん二次会は中止となりこの場は解散。私はバスに乗って自宅へ帰りました。
瓦礫が散乱する路上。
皆さんが屋外に避難され騒然とする繁華街の様子。
落下物があったサンロード新市街。
繁華街からほど近い辛島公園で連絡を取る方々。
この前震では震源地の益城町で震度7、私達がいた熊本市中央区は震度5弱、私の自宅がある熊本市南区は震度6弱を観測しています。
自宅に着くと近所の皆さんが屋外に避難されており、ただ事ではない雰囲気でした。同じく屋外に避難していた家族から家の中の現状を聞かされ、やっと事の重大さに気が付きます。最低限の荷物を取りに家に帰ると、家財が散乱しており本当に足の踏み場がない。地震で見慣れた家がこんなになるのか、と思ったのが正直な感想です。とても通常の生活がおくれる状態でありませんでした。なにより余震も続いていていて危険な為この日は車中泊。
今後はどうなるか分からないということで近所のコンビニへ行くと、辛うじて営業はされていましたがお酒のビンが割れたりと大きな被害を受けられていました。弁当やパンなどの食料品や水は全て品切れ。残っていたパウンドケーキやクッキー、バウムクーヘンといった類のお菓子と、ティッシュやウェットティッシュ、歯ブラシなどの日用品を購入。直後にお客さんの安全が保証できないとのオーナーさんの判断で閉店されました。
熊本市中央区に一人で住んでいる身内が心配だったため、買物の後に様子を見に行ってみました。多少物が散乱していたものの、少し片付ければ今まで通りの生活ができる模様。安心して自宅に戻り駐車場に避難していました。
4月15日
日付が変わった直後の0:03、最大震度6弱の地震が発生。私達のいた熊本市南区も震度6弱(ちなみに熊本市中央区は震度4)で、下から突き上げるような激しい揺れ。車内にいましたが車が跳ねるような感覚で、思わず外に出たほうがいいかと慌ててしまうほどの激しい揺れでした。その後も震度2〜4程度の余震は続き、慣れない車中泊というのもあってほとんど寝られないまま朝を迎えました。
私も含め家族も仕事を休み、昨夜(14日)はほとんど寝られなかったため、被害の少なかった熊本市中央区の身内の家へ一時的に身を寄せることに。15日の朝から身内の家へ向かうと、電気や水などのライフラインも通っている。安心した私達はお昼すぎまで仮眠をとりました。
朝はほとんど食べていなかったので、昼食を取るため外へ。この時はイオンなどのような大型店は被害が大きいという情報は入っていました。ひとまず南熊本へ向かってみると、一部閉まっているお店はあったものの、この時点ではある程度の飲食店は何とか営業されていました。家で調理できない方が多かったのでしょう。中途半端な時間にもかかわらずとても混雑していました。
何とか昼食をとって家の中を片付けるために熊本市南区の自宅へ。この時点では電気や水などのライフラインは通ってました。改めて中を見ると全く足の踏み場がない。
大きな被害といえばテレビで、倒れてきた家具によって液晶が割れてしまいました。このままでは元の生活に戻れないので、家族総出で片付け。余震に怯えつつも4〜5時間かけてある程度のところまで片付けてこの日は終了。まだまだ家で寝るのも難しいかった為、この日も夜は熊本市中央区の身内の家に行くことになりました。
この時の私達の頭の中は、土日(4月16日と17日)で片付けをして月曜からは通常の生活に戻れらねばというもの。昨日(14日)買った日用品や食料も買いすぎたかなと思ったほどです。今考えれば甘かったですね。
夜も混んではいましたが大抵の飲食店は営業されており、身内宅の近くで夕食。その後、疲れたいたためゆっくりお湯に浸かりたいと思った私は銭湯へ行くことにしました。案の定銭湯も物凄く混んでいましたが、足を伸ばしてお風呂に入れたので満足して帰宅。身内の家に着いたのは1:00近かったと思います。
4月16日 本震
家に着いてから歯磨きなどを済ませ、布団に入ってウトウトしていました。そして完全に油断していた1:25。揺れたかなと思った瞬間、激しい揺れが一気に襲ってきました。反射的に外に出ようとしましたが歩くこともできない。間もなく停電し部屋の中は真っ暗。その場でなすがままの状態です。ただただ揺れがおさまるのを待っているしかありませんでした。身内の家は大きな家具もなく、物も少なかったので、誰も怪我がなかったのが不幸中の幸い。着の身着のままで慌てて駐車場へ避難しました。
駐車場へ出ると周りの建物も停電しており真っ暗。どこかのサイレンが鳴り響いていて、それも緊迫感をあおる。追い打ちをかけるように激しい余震も相次ぎます。そしてなんだかガス臭い。もう生きた心地がしなかったです。辺りは騒然となり、近所のコンビニの駐車場へ向かいましたが、そこもガスの臭いが充満。慌てて車を取りに戻り、近くのスーパーの駐車場へ向かいました。スーパーの駐車場も避難した方々でほぼ満車。この日はここで夜を明かしました。
当然、本震がある前は前震を本震と思ってます。本震がおきるまでは、今回の地震は自宅のある熊本市南区は比較的揺れがひどく、ここ熊本市中央区はそこまでひどくない地域だと思い込み安心しきってました。本震では益城町と西原村で震度7、熊本市中央区は震度6強、熊本市南区は震度6弱。私個人はやはりこの本震が一番激しい揺れでした。たまたま建物が壊れなかっただけで、屋内にいたのは非常に危険な行為だったと思います。
南区の自宅のそばには避難所が設置してあった為、一家揃って自宅の駐車場へ避難することに。自宅に戻る途中には瓦が散乱していたり、塀が倒れていたりと景色が変わっていました。信号も付いてないところが多く、道路もデコボコ。そして大渋滞でした。
何とか自宅まで戻って中を見てみると、前震よりもさらに物が散乱。家具や家電が動き、玄関とリビングへの進路を塞いでいました。前震では無事だった食器棚はガラスが割れ、開き戸がもげている。電子レンジも落下してガラスが割れていました。
ガラス戸が割れてしまった食器棚。
もし前震がなく、いきなり本震で自宅にいたらと思うとゾッとします。大怪我をしていても不思議ではありませんでした。電気と水が通っていたは幸いです。
その後
15日にある程度は片付けていたため落胆も大きく、すぐに片付けを再開する気がおきませんでした。なにより余震が頻発しており屋内にいるのが怖い。本震がおこって以来、お風呂やトイレなど家の中に戻るのは必要最低限で、それ以外は車の中ですごすようになりました。夜はもちろん車中泊。車の中だと足を伸ばすことができず、布団で足を伸ばして寝れることの有り難みが身にしみました。それでも車だと大きな揺れでも家の中よりは危険性が少ないので、車の中が安心できる場所だったのを覚えています。
一週間ほどたってからボチボチと片付けをはじめ、しだいに食事なども家の中でするようになりました。そして何とか寝床を確保でき、家で寝るようになったのが4月末。現在(5月中旬)もまだ片付けは終わっていませんが、なんとか自宅で生活しています。
熊本地震が起こった後のことについてです。
熊本地震を体験して、自分なりに地震に対しての備えや対応を考察しています。
災害ボランティアについてや、初めて参加して感じたことなどをまとめました。
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