最北の現存天守!弘前城|青森県弘前市

本丸にあった井戸跡。もともとは天守より65メートル北側の石垣沿いにありましたが、石垣の改修工事に伴ってこの場所に移されました。

35本丸井戸跡

ここは本丸戌亥櫓跡。土蔵造りだったといわれ、現存している3つの櫓(丑寅櫓、未申櫓、辰巳櫓)と同じような構造だったと思われます。

36本丸戌亥櫓跡

本丸戌亥櫓跡から見た蓮池。

37本丸戌亥櫓跡

こちらは本丸未申櫓跡。築城当時はここに五層の天守がありましたが、1627年(寛永4年)の落雷で焼失してしまいます。その後に隅櫓として再建されました。

38本丸未申櫓跡

本丸未申櫓跡からの眺め。

39本丸未申櫓跡から

五層天守からの眺めはこうなるようです。

40本丸未申櫓跡五層天守から

弘前藩庁御国日記という日記が現存している弘前城。1661年(寛文元年)から明治まで書き続けられた貴重な資料です。ここにはその日記を保管していた蔵がありました。

41御日記蔵跡

天守

そしてこちらが江戸時代より現存する天守。この天守は五層天守が焼失後の1810年(文化7年)、9代藩主津軽寧親(やすちか)によって本丸辰巳櫓を解体新造されたものです。

42天守

新しい年代の天守ですが、その形式は古いものになっています。

43天守

天守一階にあった石落とし。有事の際には鉄砲や弓矢、石や熱湯などで敵を攻撃します。

44天守一階石落

こちらは弓矢を射るための矢狭間。手前が広くて外側は狭くまっており、これは攻撃しやすく敵の攻撃を受けにくくするための工夫です。

45天守一階白壁

天守の二階。

46天守二階

47天守二階

二階には藩主が使用した駕籠が展示してありました。駕籠の上にある模様は杏葉牡丹紋。初代藩主津軽為信が1594年(文禄2年)に上洛した際に、近衛関白家より使用を許されました。

48天守二階

そして最上階となる三階。

49天守三階

矢狭間が設けてあります。
50天守三階

壁には日本のお城の写真が飾ってありました。

51天守三階

そして弘前城の模型。以前は本丸にたくさんの建物があったんですね。

52天守三階

実は石垣の修復工事のため、一時的にこの場所に曳屋(建物を解体せずにそのまま移動させること)れている弘前城の天守。建物を丸ごと移すなんてすごい技術ですよね。天守内ではその曳屋に関する説明の展示もありました。

53天守

天守のそばには展望デッキが設置してあります。

54展望台

本来はこの石垣の上にそびえていた天守。現在は立入禁止となっています。

55天守台

石垣の工事が終わったらまたもとの場所に戻される予定の天守。2015年(平成27年)から約10年の歳月をかえて修復されるという弘前城の石垣。ということは2025年にはもとの姿が見られるのではないでしょうか。楽しみですね。

56天守

  • スポット名
    弘前城
  • 料金
    大人 310円
  • 住所
    青森県弘前市下白銀町1 弘前城
  • 青森県弘前市下白銀町1 弘前城
  • 電話番号
    0172-33-8739
  • 営業時間
    9:00~17:00(さくらまつり期間)7:00~21:00
  • 休業日
    11/24~3/31
  • 駐車場
    有料駐車場が有

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