最北の現存天守!弘前城|青森県弘前市
本丸にあった井戸跡。もともとは天守より65メートル北側の石垣沿いにありましたが、石垣の改修工事に伴ってこの場所に移されました。
ここは本丸戌亥櫓跡。土蔵造りだったといわれ、現存している3つの櫓(丑寅櫓、未申櫓、辰巳櫓)と同じような構造だったと思われます。
本丸戌亥櫓跡から見た蓮池。
こちらは本丸未申櫓跡。築城当時はここに五層の天守がありましたが、1627年(寛永4年)の落雷で焼失してしまいます。その後に隅櫓として再建されました。
本丸未申櫓跡からの眺め。
五層天守からの眺めはこうなるようです。
弘前藩庁御国日記という日記が現存している弘前城。1661年(寛文元年)から明治まで書き続けられた貴重な資料です。ここにはその日記を保管していた蔵がありました。
天守
そしてこちらが江戸時代より現存する天守。この天守は五層天守が焼失後の1810年(文化7年)、9代藩主津軽寧親(やすちか)によって本丸辰巳櫓を解体新造されたものです。
新しい年代の天守ですが、その形式は古いものになっています。
天守一階にあった石落とし。有事の際には鉄砲や弓矢、石や熱湯などで敵を攻撃します。
こちらは弓矢を射るための矢狭間。手前が広くて外側は狭くまっており、これは攻撃しやすく敵の攻撃を受けにくくするための工夫です。
天守の二階。
二階には藩主が使用した駕籠が展示してありました。駕籠の上にある模様は杏葉牡丹紋。初代藩主津軽為信が1594年(文禄2年)に上洛した際に、近衛関白家より使用を許されました。
そして最上階となる三階。
矢狭間が設けてあります。
壁には日本のお城の写真が飾ってありました。
そして弘前城の模型。以前は本丸にたくさんの建物があったんですね。
実は石垣の修復工事のため、一時的にこの場所に曳屋(建物を解体せずにそのまま移動させること)れている弘前城の天守。建物を丸ごと移すなんてすごい技術ですよね。天守内ではその曳屋に関する説明の展示もありました。
天守のそばには展望デッキが設置してあります。
本来はこの石垣の上にそびえていた天守。現在は立入禁止となっています。
石垣の工事が終わったらまたもとの場所に戻される予定の天守。2015年(平成27年)から約10年の歳月をかえて修復されるという弘前城の石垣。ということは2025年にはもとの姿が見られるのではないでしょうか。楽しみですね。
- スポット名弘前城
- 料金大人 310円
- 住所青森県弘前市下白銀町1 弘前城
- 青森県弘前市下白銀町1 弘前城
- 電話番号0172-33-8739
- 営業時間9:00~17:00(さくらまつり期間)7:00~21:00
- 休業日11/24~3/31
- 駐車場有料駐車場が有
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