800年以上の歴史を誇る人吉城|熊本県人吉市
三の丸 本丸 二の丸
御下御門から登ってくると三の丸に着きます。
中御門跡
三の丸から二の丸へ続く場所にある中御門跡。
この辺りの石垣もよく残っています。昔はどんなだったか想像してしまいますね。
中御門から本丸へ
中御門跡からさらに進むと二の丸。
二の丸跡には大きな木が生い茂っています。
この階段を登るといよいよ本丸。
本丸跡
こちらが本丸跡です。本丸はもともと高御城と呼ばれていました。場所としては天守台に相当しますが、天守閣はありませんでした。
本丸跡にあった石碑。
1626年(寛永3年)に護摩堂が建てられ、御先祖堂や太鼓櫓、山伏番所などがあったそうです。
この礎石は板葺きで4間(1間は約1.8181メートル)四方の2階建てであった護摩堂の跡。
中世には繊月石を祀る場所でもあった本丸跡。宗教的に利用されていたのも特徴ということです。
繊月石とは
三ヶ月を意味している繊月。人吉城は平氏の代官の城でしたが、遠江国(現在の静岡県中部)相良の出身の相良長頼が1198年に人吉荘の地頭となりました。この長頼が相良家の初代です。その翌年、長頼が人吉城を修築した際に三日月の文様のある石が出土。これが繊月石です。そのため人吉城は別名・三日月城または繊月城いわれるようになりました。
二の丸跡
本丸跡を見た後に二の丸跡を散策。これは二の丸跡にあった石碑です。
実は戦国時代までは南東にある上原城を本城とする山城だった人吉城。この二の丸跡は内城と呼ばれ、女性が生活する場所でした。1589年(天正17年)、相良家20代当主・長毎(ながつね)によって築城開始。それから本丸や二の丸ができ、1601年(慶長6年)に石垣が完成しました。またここにはかつて御広間、御金ノ間、御取次の間、奥方御居間、御上台所、下台所からなる二の丸御殿がありました。御金ノ間のふすまなどには金箔が張られ、城主が生活する屋敷の中心だったということです。
二の丸跡からは三の丸跡、その向こうに人吉の街並みを眺めることができます。
三の丸跡も芝生が広がり、きれいに整備されていますね。
二の丸から三の丸へつながる階段もあります。
三の丸跡
三の丸跡からみた二の丸。
石垣がきれいに残っています。
三の丸から見た中御門跡。
お城の下から三の丸・二の丸・本丸と見てきましたが、石垣が本当によく残っています。変に観光地化されていないのも良い。当時のことを想像するのには最高の城跡だと思います。
- スポット名人吉城址公園
- 料金無料
- 住所熊本県人吉市麓町
- 熊本県人吉市麓町
- 電話番号0966-22-2111(人吉市教育委員会 社会教育課)
- 営業時間散策自由
- 休業日年中開放
- 駐車場有(50台)
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