九州最古のお寺!武蔵寺と天拝山登山|福岡県筑紫野市
奈良時代からあると伝わる武蔵寺
福岡県筑紫野市にある武蔵寺(ぶぞうじ)に行ってまいりました。奈良時代からあったといわれる九州最古のお寺です。ただし諸説あり起源は定かではありません。遅くても平安時代からは存在していたようです。
藤原鎌足(中臣鎌足)の子孫で壬申の乱で手柄をたてた藤原虎麿が創建したと伝わっています。今昔物語や梁塵秘抄などの古典にも登場するそうです。
境内には池もありました。
こちらは手水舎です。
「長者の藤」と呼ばれるこちらの藤。藤原虎麿が自分の姓にちなんで植えたといわれています。伝承が正しければ樹齢は1300年。市の天然記念物に指定されています。
こちらが武蔵寺の本堂。御本尊は椿の一木彫りの薬師如来さまです。
百八の大念珠。煩悩を消滅するもので、除災招福や先祖回向供養などを祈念しながら繰るとご利益があるそうです。
上には彫刻がありました。
本堂に向かって左側にあった般若心経の古塔。
こちらは日切地蔵尊菩薩さまです。
観世音菩薩さまをお祀りするお社。
こちらは大黒天さまをお祀りしています。
本堂側から見た武蔵寺の参道。
菅原道真公が御神体を彫った御自作天満宮
武蔵寺の近く、天拝山の山麓にあった御自作天満宮。
菅原道真公が武蔵寺にご参拝された際に、御神体を自ら彫刻され境内に安置されました。後のこちらに遷座され、この地が御自作天満宮となります。
御自作天満宮の狛犬さん。
こちらが御自作天満宮の拝殿です。武蔵寺境内にあった頃は社殿も大きかったといわれています。しかしその後は兵火や大火にあい、その度に再建されてきました。社殿は幾度となく焼失しましたが、御神体は現存しています。
天拝山
武蔵寺や御自作天満宮のそばにそびえる天拝山。今回は開運の道といわれる登山ルートに行ってまいりました。こちらは開運の道の入口付近にあった藤棚。天神館の藤と書いてありました。
開運の道には合ごとに菅原道真公が詠んだ歌の歌碑が設置されています。こちらは起点の歌碑で、「寝ても又 覚めても辛き 世の中に 有る甲斐もなき 我住居哉(わがすまいかな)」と書いてありました。
開運の道は未舗装ですが道の幅も広いので、特別な装備はなくても十分に登ることができます。
一合目の歌は「憂しといふ 世に住みがなく 露の身の 消てはかなき 身をややつさん」。
ここは石楠花谷という愛称がついているエリア。
石楠花(シャクナゲ)の植樹と管理が行われているそうです。
一合目からの道。
二合目は「とらば手に 留まりもやせん 秋の夜の 草葉の露に 宿る月影」。
三合目は「憂きことの 夢になり行く 世なりせば いかで心の 嬉からまし」。
四合目は「薫く(たく)ままに 霞の衣 重ね着て 花の紐をば いつか解べき(とく)」。
五合目は「生まれきて 世に墨染めの 袖ならば 心を知れや 法(のり)のしるしに」。
六合目は「さるからに 心細くも 聞こふるは 山より奥の 入合の鐘」。
開運の道の途中にあった荒穂神社の拝殿。
木の間からは筑紫野の街が見えました。
七合目は「鶏の音に 夢打覚めて 独り寝る 其暁は 物憂かりけり」。
八合目は「戌(いぬ)桜 先咲初て(まずさきそめて) 山里の 木末に匂ふ 衣更着の比(きさらぎのころ)」。
こちらは飯盛古城跡。どこに城があったのかは分かりませんが、この辺りにあったんでしょう。
九合目は「いつまでか 花の契りの 深からじ 去(こぞ)年を今年に 思ひ合わせん」。
この先はいよいよ山頂です。
天拝山の山頂にあったお社。
山頂には展望台もありました。
展望台からの眺めは絶景。筑紫野の街を一望できます。
登山道は歩きやすくて、高さもほどほどな天拝山。運動にはちょうどいい山だと思います。山麓には武蔵寺や御自作天満宮など歴史ある寺社仏閣もありお参りもできる。帰りには近くの二日市温泉で湯に浸かるのもいいでしょう。
- スポット名武蔵寺
- 料金参拝無料
- 住所福岡県筑紫野市武藏621
- 福岡県筑紫野市武藏621
- 電話番号092-922-2670
- 営業時間参拝自由
- 休業日参拝自由
- 駐車場有
トップページへ
週間ランキング
ランキングをもっと見る