庭園は小堀遠州の作!頼久寺|岡山県高梁市
石火矢町ふるさと村からほど近い頼久寺
岡山県高梁市にある頼久寺に行ってまいりました。武家屋敷がある石火矢町ふるさと村の近くにあるお寺です。
こちらの山門から中へ。
臨済宗永源寺派のお寺である頼久寺。建立された時期は不明ですが、1339年(暦応2年)に足利尊氏が再興した記録があり、その頃は安国寺といったそうです。
1504年(永正元年)に当時の備中松山城の城主であった上野頼久が大檀越(有力な信徒)となりお寺を再興。大永元年(1521年)に逝去された際に安国頼久寺と寺号を改めました。
玄関から入ると庭園への案内があります。案内に沿って進みましょう。
順路の脇にある部屋。
庭園が注目されがちな頼久寺。
お寺の建物も立派です。
めっちゃ広いお部屋。
欄間も細かい装飾が施されています。
そして柱には釘隠し。
床の間に天袋、違い棚なども備えています。
庭園
関ヶ原の戦い後に備中松山城の城主となった小堀正次。1604年(慶長9年)に参勤交代の途中に急死したため、長男の政一(遠州)が跡を継ぎました。当時の備中松山城は備中兵乱後で荒廃しており、小堀政一はここ頼久寺を仮の館として1619年(元和5年)まで滞在。頼久寺の庭園はその頃に作庭されたといわれています。
庭園は愛宕山を借景(遠くの景色をあたかも庭の一部かのように利用)にしており、蓬莱式枯山水庭園という形式。
安土桃山時代から江戸時代初期に流行した様式で、当時からの姿をとどめる貴重な庭園です。
立ち入りはできないので近くまで行くことはできませんが、白砂敷の中央に鶴島、その後方に亀島という築山があります。
作庭した小堀遠州は武士ですが幼少のころから茶道にはげみ、筆頭茶道だった古田織部(重然)にも師事しました。”きれいさび”と称される茶道を確立し、その所作は武家茶道の一派である遠州流として現在も続いています。
茶道だけでなく建築・作庭の名人として名を馳せた当代きっての文化人、小堀遠州の庭園は一見の価値があるでしょう。備中松山城観光のさいには、見ておきたいですね。
- スポット名頼久寺
- 料金大人300円
- 住所岡山県高梁市頼久寺町18
- 岡山県高梁市頼久寺町18
- 電話番号0866-22-3516
- 営業時間9:00~17:00
- 休業日無休
- 駐車場有
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