御三家 紀州徳川家の居城だった和歌山城|和歌山県和歌山市
和歌山県和歌山市にある和歌山城に行ってまいりました。和歌山駅からは車で5,6分くらいの場所にあります。
西之丸庭園
まず訪問したのは西之丸庭園。こちらは無料で見学できます。
西之丸庭園は江戸時代初期に作庭された池泉回遊式庭園。
この庭は虎伏山(和歌山城がある山)の地形を利用しているそうです。
まるで池に浮いているように見えるのは鳶魚閣(えんぎょかく)。また西之丸庭園は紅葉の名所でもあるそうです。
御橋廊下
こちらは御橋廊下のそばにあった高燈籠。
そしてこちらが御橋廊下です。
御橋廊下は城主と奥女中(付き人)が二の丸と西の丸を行き来するための橋。紀州徳川家の時代に造られました。橋は斜めに架かっており、これは非常に珍しいそうです。
殿様が通る橋のため外からは見えないように壁と屋根があります。まるで建物内の通路のようですね。さすがは御三家。2006年(平成18年)に復元されました。
江戸時代には御橋廊下がかかるこの石垣には多聞櫓(長屋造の櫓)が建っていたそうです。
また近くには穴蔵状の遺構が発見されています。詳しいことは分かっていませんが、何かを収納する施設だったようです。
追廻門〜新裏坂から天守へ
和歌山城の天守へは多く分けて3つほどルートがあり、まずは新裏坂からの道を行ってみました。この切手門跡から本丸の石垣に沿って歩きます。ちなみに切手とは通行証のことで、ここは通行人の検問のような場所だったのでしょう。
ここは山吹渓といわれるエリア。
そしてこちらは鶴の渓といわれています。鶴の渓は砂の丸から二の丸へと通ずる道。浅野家が城主だった時代にここで鶴を飼っていたためこの名が付きました。
ここにはかつて鶴の門があったそうです。ちなみにですが切手門跡から鶴の門跡までは、別に通らなくても天守へ行くことができます。
この赤い門は追廻門。砂の丸へと入る門で、大手門の反対側の搦手(裏手)に位置しています。高麗門という形式で、この外側に馬術の練習をする追廻があっためにこの名が付きました。
追廻門から右手に向かい砂の丸跡を通っていくと新裏坂があります。ここを登りきれば天守は目の前。
岡口門から表坂
次は岡口門から入るルート。1585年(天正13年)、羽柴秀吉が弟・秀長に命じて築城した和歌山城。当時はこの岡口門が大手門でした。
現在の門は紀州徳川家時代の1621年(元和7年)に建てた二階建ての門。江戸時代から残る数少ない建物で、国の重要文化財に指定されています。
岡口門から入った先にある石垣は高石垣と呼ばれるそうです。
ここは岡中門跡。
こちらが表坂の登り口です。
階段はくねくねしていますが、スロープが設けてありました。
高石垣の上からの眺めです。
ここは七福の庭。
七個の大きな石を七福神に見立てて配置してあるそうです。ここでは七福神が宝船に乗っている様子を表しています。
七福の庭からは石垣沿いに真っすぐ進む。
そしてこの階段を登っていけば天守です。
大手門から裏坂
最後は最も一般的と思われる大手門からのルート。架かっている橋は一の橋です。
このお堀は北内堀。
ではこちらの大手門から城内へ。大手門はいわゆる正門で、当初は市之橋御門と呼ばれていました。1796年(寛政8年)に大手門、及び一の橋に改名。1909年(明治42年)に倒壊しましたが、1928年(昭和57年)に再建され、翌年の3月には一の橋も架けかえられました。
大手門の先にある一中門跡。
江戸時代の和歌山城の別名は「虎伏山竹垣城」といいました。和歌山城の建つ山が海上から見ると猛虎が伏しているように見えたため。この伏虎像はそれにちなんで1959年(昭和34年)に建てられ、現在は2代目です。
この道を真っすぐ行くとさきほどの切手門跡へと続きます。
こちらは二の丸跡。紀州徳川家時代はもともと本丸御殿が山頂にありました。しかし手狭で不便だったため、二の丸に居館や政庁が置かれます。その当時の二の丸は藩の行事を行う表、藩主の住居である中奥、奥女中が生活する大奥に分かれていました。
こちらが裏坂の入口です。
テレビの珍百景にも紹介された木の根っこ。人が石垣を登っているように見えます。
そしてこちらが裏坂。
こんな風に曲がったりしています。敵の侵入を遅れさせるための工夫でしょう。
途中にあった銀明水と呼ばれる井戸。天守台のほうにある金明水とともに日常用水、または籠城時の非常用水でした。城内には約40ヶ所ほどの井戸があります。
さらに裏坂を登っていくといよいよ天守です。
天守
こちらが和歌山城の天守。浅野家がはじめに黒張りの天守を建造しましたが、1798年(寛政10年)に十代藩 主徳川治宝によって白壁の天守に改築されます。しかし1846年(弘化3年)に落雷によって焼失。御三家ということで特別に許可がおり、1850年(嘉永3年)にほぼ元のまま再建されます。昭和の時代まで現存しましたが残念ながら和歌山大空襲で焼失。1958年(昭和33年)に鉄筋コンクリートで再建されました。外観は再現してあります。
この楠門から天守へ。
楠門を内側から見たところ。
こちらは隅にあった櫓。
そしてこちらが天守です。
向かって左手にある小天守内の様子。
天守内には様々な展示がありました。甲冑はかっこいいですね。
こちらは駕籠。
徳川家の家紋、葵紋が入った長持ち。
葵紋が入った革製の陣羽織です。
黒漆塗りの鞍(あん、くら:馬の背中に置いて人が乗る道具)。金色の葵紋が入っています。
これは御菓子器といってお菓子を入れる箱。やはり葵紋が入っています。さすが御三家の城。
こちらが最上階となる三階。
ここからは和歌山の街が一望できます。
いい眺めでした。
天守から下を見たところ。和歌山城の天守は連立式天守という形式。東側に大天守と小天守が建てられ、他に2つの櫓が渡櫓によって連結しています。姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つです。
復元された渡櫓の中。
出口付近には虎の絵がありました。この時代の人は虎を実際に見たことがなかったので、伝聞などをもとに想像で描いています。そのため顔が猫に似ている場合もあり。この絵も猫に似てる気がしますね。
初めは羽柴秀吉の命によって築城された和歌山城。その後は桑山家、浅野家、そして紀州徳川家とお城の主が変わります。主が変わりながらも近代まで現存した天守。戦争によって失われてしまったのは残念でなりませんね。
天守の一番のビュースポットはここ。北内堀から御橋廊下が見える位置がいいといわれています。天守と御橋廊下が1枚の写真におさまる。いいアングルではないでしょうか。
- スポット名和歌山城
- 料金大人 410円
- 住所和歌山県3 和歌山城
- 和歌山県3 和歌山城
- 電話番号073-422-8979
- 営業時間9:00〜17:30
- 休業日12/29〜12/31
- 駐車場有料駐車場が有
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