山頂にそびえる現存天守!宇和島城|愛媛県宇和島市
もともとは海城だった宇和島城
愛媛県宇和島市にある宇和島城に行ってまいりました。宇和島城を造ったのは築城の名手といわれた藤堂高虎。高虎は1601年(慶長6年)の完成を見届けてから、関ヶ原の戦いの功により今治へ加増転封となります。創建当時は海水をひいた堀があり、西半分は海に面した海城でした。
桑折氏武家長屋門 井戸丸経由のルート
登山口にあるこの門は桑折氏武家長屋門。家老だった桑折氏の武家長屋門です。道路拡張に伴い現在の場所に移転されました。宇和島城下で唯一現存している武家長屋門で、市の指定有形文化財になっています。
宇和島城に行くには大きく分けて3つあり、こちらは桑折氏武家長屋門から入って井戸丸を通っていくルート。
桑折氏武家長屋門から左に進み、非常に雰囲気のある階段を登っていきます。
こちらは井戸丸跡。ここの井戸は現在残っている3つの井戸のうち最も重要とされています。井戸の深さは約11メートル。三の丸からの登り道にあたる場所だそうです。
さらに階段を登って突き当りを左へ進むと天守に行けます。
桑折氏武家長屋門 長門丸経由のルート
もう一つが桑折氏武家長屋門から入って長門丸を経由するルート。これは遠回りになりますが、桑折氏武家長屋門から右に行き、舗装された道を進みます。
その途中にあった和翁丸跡。
ここには石垣がありました。
この辺りからが長門丸跡。
現在は公園として整備されていました。もう一つの上り立ち門ルートとこの長門丸跡で合流します。
上り立ち門ルート
最後の3つ目は上り立ち門ルート。桑折氏武家長屋門とは山の反対側から登ります。この上り立ち門は江戸時代から現存している数少ない建造物の一つ。武家の正門とされる薬医門という形式です。現存する薬医門では最大級。藤堂高虎時代の建物の可能性があり、その場合は国内最古クラス。市の指定有形文化財です。
この階段を登って天守へ。
右手に石垣を見ながら進みます。
この石垣の上は代右衛門丸という場所で、そこへ行く道もあるのですが工事中で立ち入ることはできませんでした。
さらに進むと視界がひらけてきます。
長門跡に出るので、ここが桑折氏武家長屋門 長門丸経由のルートとの合流地点。
雷門跡を通って行きます。
ここがかつて雷門があった場所。
藤兵衛丸跡である広場には城山郷土館があります。
城山郷土館のそばにあった穂積陳重 八束兄弟の生家長屋跡。穂積陳重と八束の兄弟は東京帝国大学の教授として功績をあげられました。この建物は兄弟が幼年期を過ごした建物ということです。
こちらが城山郷土館の建物。
館内は愛媛や宇和島の歴史に関する資料などが展示してあります。
さきほどの穂積陳重のパネルもありました。
城山郷土館から先に進むと桑折氏武家長屋門の井戸丸経由のルートと合流します。
そしてさらに進むといよいよ天守のある本丸です。
左手は本丸の石垣。このあたりは三の門跡となります。
振り返れば天守が見えていました。
階段を登ると二之丸跡。二之丸は本丸の最終防衛地点となり、下にある雷門に侵攻した敵を攻撃する役割となります。
二之丸から見た天守。
二之丸にあった御算用矢倉跡。何かの計算でもする場所だったんでしょうか。
二之丸からは海が見えます。かつては海城だったというのも納得できますね。
ここは一の門(櫛形門)跡。
一の門跡の階段を登ればいよいよ本丸となります。
本丸からも海が見えていました。
宇和島の街も一望できます。
江戸時代より現存する天守
こちらが宇和島城の天守。
藤堂高虎による創建時は複合式望楼型という形式でしたが、その後に入国した伊達家によって独立式層塔型に建て替えられました。
それでは早速、中へ入りましょう。
- スポット名宇和島城
- 料金大人200円
- 住所愛媛県宇和島市丸之内1
- 愛媛県宇和島市丸之内1
- 電話番号0895-22-2832
- 営業時間(3~10月) 9:00~17:00(11~2月) 9:00~16:00
- 休業日無休
- 駐車場有料駐車場が有
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