甦った白鷺 国宝!姫路城|兵庫県姫路市
国宝で世界遺産でもある姫路城
兵庫県姫路市にある姫路城、別名白鷺城に行ってまいりました。姫路駅からは歩いて15分ほどになります。大天守、東小天守、西小天守、乾小天守、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓が国宝。世界文化遺産にも登録されている超貴重なお城です。
こちらの大手門から場内へ。
三の丸
三の丸は広場としてきれいに整備されています。
もともとは小規模な城だった姫路城。現在の姫路城は関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって造られました。過去には黒田孝高(官兵衛)や羽柴(豊臣)秀吉が城主だったこともあります。白漆喰で塗られた壁の美しさから別名は白鷺城。平成の修理をへて白さを取り戻しました。ただしカビが繁殖するため、この白さは数年しかもたないということです。
こちらは天守の庭。不要となった礎石を元通りに配置して天守台を再現しているそうです。
ここは黒田孝高(官兵衛)ゆかりの石垣。姫路城の石垣は羽柴時代、池田時代、本多時代に分かれます。羽柴秀吉は城の普請を黒田孝高に命じていることから、黒田孝高ゆかりの石垣といっているんでしょう。豊臣秀吉ゆかりの石垣ともいえます。
城山(姫山と鷺山の間)
この立派な門は菱の門。城への入口を守ると重要な場所です。冠木(上部を貫く横木)に木製の花菱が飾られているのが名前の由来。片側だけが石垣にのっているという珍しい櫓門です。江戸時代は菱の門の内側を城山といいました。
菱の門の先にある三国堀(さんごくほり)。城山には鷺山と姫山という2つの峰があり、姫山には備前丸(本丸)や天守、鷺山には西の丸が造られました。姫山と鷺山の間、城山の中央にあるのがこの三国堀。防御上重要な場所になるということです。
三国堀からみた姫路城の天守。絵になりますね。
菱の門からいの門へと向かう道からは天守が見えています。
この門はいの門。重要文化財に指定されています。というか姫路城はたいていのものが重要文化財。
続いてろの門(重要文化財)。
ここははの門南方土塀。
姫路城の見どころの一つでしょう。土塀にそって通路があります。
姫路城の壁や土塀に開いている丸・三角・四角の穴は狭間。鉄砲や弓矢を射るためのもので、内側は広くて外側は狭くなっています。
土塀の先にははの門(重要文化財)。
はの門の先にも通路が続きます。
このあたりは非日常というか別世界を感じられますね。
次に見えてきたのはにの門(重要文化財)。
中はこんなかんじになっています。
続いてはほの門。こちらはなぜか重要文化財ではありません。
ほの門は鉄の扉でした。
ほの門のそばにある油壁。版築という工法で造られた羽柴秀吉時代の土塀です。この油壁があるのは姫路城内でここのみ。その理由も油壁の名前の由来も定かではないそうです。
こちらはロの渡櫓(重要文化財)。
中には深さ約15メートルの井戸がありました。
この網がしてあるのは姥ケ石。石臼が間詰め石として積まれています。城を造っているときに石集めに困っていた羽柴秀吉。それを聞いた城下の貧しいお婆さんが石臼を寄付します。秀吉は喜んで石垣に使いました。その話が広まり国中から石が寄付され見事に石垣が完成。という話が伝わっていますが、この石垣は池田輝政時代のものなので作り話です。
こちらは水の一門(重要文化財)。
反対から見るとこうなってます。
続いて水の二門(重要文化財)。
そして水の三門。
水の三門を抜けると天守が目の前です。
天守
まずは小天守から入ります。
天守にあった釘隠し。
大天守二階
そしていよいよ大天守。二階からの見学となります。写真の右側にあるのは武具掛け。
天守二階の武者走り(天守の外側に設けられた通路で、有事の際には武者が走り回る)。現存天守の中では一番幅が広いと思います。
こちらは破風の間。入母屋破風の屋根裏部屋です。
広々としてる大天守の二階。
大天守三階
続いては三階。
この東大柱は高さが24.6メートル、根本の直径は95センチもあります。
三階の隅の様子。
こちらは武者隠し。四隅に伏兵を配置するための空間が設けてあり、中には狭間もあります。
大天守四階
大天守の四回。
武具掛けがありました。
こちらは石打棚。四階は窓の位置が高くなっているため、窓を使えるように石打棚が設けてあります。
- スポット名姫路城
- 料金大人 1,000円
- 住所兵庫県姫路市本町68番地
- 兵庫県姫路市本町68番地
- 電話番号079-285-1146
- 営業時間9:00〜16:00 4/27~8/31は9:00〜17:00
- 休業日12/29, 12/30
- 駐車場公営駐車場が有
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