白虎隊ゆかりの地 飯盛山とさざえ堂|福島県会津若松市
白虎隊最後の地 飯盛山
福島県会津若松市にある飯盛山に行ってまいりました。飯盛山は戊辰戦争の際に、少年で結成された白虎隊士が敗走して流れ着いた山。会津若松城付近からのぼる煙を見て、お城が落城したと錯覚し、自刃したという悲しい歴史がある場所です。
飯盛山にはロープウェイもありますが、僕は階段を登りました。
階段の先にあった広場。
こちらはドイツ記念碑。白虎隊士に感銘を受けたドイツの外交官、ハッソウ・フォン・エッドルフ氏より寄贈されたものです。
上部に鳥が羽ばたいているのはイタリー記念碑。1928年(昭和3年)にローマ市民から贈られた石碑です。
飯沼山に退避した白虎隊は20名。全員が自刃しましたが、飯沼貞吉(後に貞雄と改名)のみが一命をとりとめます。ここは明治維新後を生き抜いた彼のお墓です。
こちらは白虎隊自刃の碑。
飯盛山からは会津若松の街を見渡せます。
こちらの歩道を通って山頂へ。
いくつか白虎隊の碑がありました。
そしてこちらが白虎隊のお墓です。負傷者を抱えながら流れ着いた飯盛山で、わずか15〜17歳の少年たちは自刃しました。
会津藩殉難烈婦の碑。会津戦争で戦死した婦女子約200名を弔うために建てられた碑です。女性もかなりの方が犠牲になられたんですね。
こちらは吉田伊惣次のお墓。白虎隊のご遺体はしばらくの間風雨にさられていましたが、それを不憫に思ったこの山の主・飯盛正信とともに秘密裏に遺骨を埋葬された方です。しかし、その事が維新政府にばれてしまい、お二人は処罰されてしまいました。
飯盛山の山頂からの景色。
続いてはさざえ堂へと向かいます。
こちらは水塚、花塚、茶釜塚という3つの塚。
このお社は宇賀神堂。
さざえ堂
そしてこちらが有名なさざえ堂。正式名称は円通三匝堂(えんつうさんそうどう)といいます。1796年(寛政8年)に建立されました。名前の由来はさざえの殻に似ているから。登りと降りですれ違うことなく、一方通行で行ける世にも不思議な建物です。国の重要文化財に指定されています。
さざえ堂の中。
階段ではなく、デコボコの坂道です。
ときどき反対がが見える場所がありました。
ここがさざえ堂のてっぺん。御札がたくさん貼ってありますね。
この太鼓橋みたいな通路から折り返します。
降りの通路。
ときどきちょっとしたスペースがあります。
神棚でしょうか。
いよいよ出口となります。
出口付近には偉いお坊さんの像がありました。
どうしてこのアイデアを思いつき、どうやって設計してどうやって建てたんでしょうね。すごい建物でした。
下山へ
さざえ堂を見た後は下山へ向けて進みます。こちらは厳島神社。
白虎隊が通った道の解説もありました。
ここは戸ノ口堰洞穴です。猪苗代湖の戸ノ口から会津盆地へ水を引くための用水堰。白虎隊20名が潜った洞穴ということです。
戸ノ口堰洞穴の近くにあった水神社。
こちらは子育地蔵尊です。
この坂道を降ってふもとへ。
戊辰戦争のさいに会津藩の本陣がおかれた旧滝沢本陣。国の重要文化財に指定されています。僕が行った時はちょうど工事中で、見学することはできませんでした。
会津藩主・松平容保が京都守護職であったため、戊辰戦争において旧幕府軍の中心勢力であった会津藩。恭順の意を示しながらも認められず、会津戦争は激戦となり多くの方が犠牲になりました。様々な事情があるとはいえ争いごとはあってはならないですね。
- スポット名飯盛山 さざえ堂
- 料金さざえ堂 大人400円 高校生300円 小中学生200円
- 住所福島県会津若松市一箕町飯盛山
- 福島県会津若松市一箕町飯盛山
- 電話番号0242-22-3163
- 営業時間さざえ堂 08:15〜日没(4〜12月)09:00〜16:00(1〜3月)
- 休業日無休
- 駐車場有
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