藍商佐直 豪商だった吉田家住宅|徳島県美馬市

脇町のうだつの町並みにある吉田家住宅

徳島県美馬市にある吉田家住宅に行ってまいりました。脇町の「うだつの町並み」の通りにあります。こちらは吉田直兵衛が1792年(寛政4年)に創業した藍商。屋号は佐直といいます。当時は脇町で最も大きい敷地を所有していました。

01外観

「うだつの町並み」の真っ只中にあるだけに、吉田家住宅にもうだつがあります。うだつとは建物の両脇に卯の字に張り出した壁。漆喰仕上げで小屋根付きです。漢字で書くと卯建。装飾と防火を兼ねるものでしたが、お金がかかることから富の象徴になりました。

02うだつ

こちらは主屋の裏手にある井戸。

03井戸

そして井戸の後ろにある質蔵。

04蔵

蔵の中には資料が展示してありました。

05蔵一階

こちらは質蔵の奥にある中蔵。駕籠が展示してあります。

06蔵一階

そして二階にあがることも可能。

07蔵二階

二階には休憩室もありました。立派な蔵ですね。

08蔵二階

主屋一階

こちらが主屋の帳場。吉田家が営んでいた藍商とは藍染の原料であるすくもや藍玉を販売する商売。吉野川流域は藍草の一大産地ですが、藍草からすくもや藍玉を作るのはとても手間がかかりました。このすくもや藍玉を作る業者は藍師と呼ばれたそうです。

09帳場

こちらの六畳間は奥の店。帳場の横にある部屋です。

10六帖間 奥の店

六畳間のその奥にある板の間。ここは台所のようです。

12板の間

家のご主人やその家族は居間や奥の間で食事をとっていましたが、奉公人などはこの板の間で食事をしていたそうです。家族は折敷(食台)などに食器を乗せていました。奉公人に蓋付きの箱膳に食器をしまっており、その箱膳に乗せていたそうです。食後は水で洗わずに布でぬぐって箱膳にしまいました。最盛期にはお鍋どんといわれる炊事係の女性や、権助という飯炊き係の男性もいたそうです。

13板の間

板の間の先にある部屋。小さい囲炉裏があります。

14板の間

手前にはタンスがありました。

15板の間

この部屋の欄間はこちら。

16板の間の欄間

こちらはつなぎの間の釘隠しです。形は茶実(ちゃのみ)。

17つなぎの間の釘隠し

この部屋は中の間。大きな取引や重要な商談はこの中の間が使用されていたようです。箱階段は主人の居室に通じており、重要な話は主人が対応できるようになっていました。

17中の間

こちらは中の間から見た中庭。

11六帖間 奥の店 

中の間の釘隠し。形は袋(ふくろ)です。

18中の間の釘隠し

こちらは前室。

19前室

この部屋には小窓が設けてあり、帳場を覗き見ることができます。

20前室

こちらは小玄関の前室。

22小玄関の前室

そしてこちらは居間。居間は家族の日常生活に使われていました。

27居間

居間の釘隠し。形は真向い兎(まむかいうさぎ)です。

28居間の釘隠し

居間と奥の間をつなぐ欄間。模様は松でしょうか。欄間は装飾としての役割もありますが、部屋と部屋の繋がりを強くする意図もあるそうです。

29居間の欄間

こちらが奥の間。

30奥の間

床の間に押し入れがあります。こちらも家族の日常生活に使われていました。

31奥の間

主座敷の釘隠しは花角(はなかく)です。

32奥の間の釘隠し

こちらは便所。江戸時代末期、木製便器の形状はそのままに陶磁器の便器が作られはじめました。白い器にコバルトで模様を描いた染付の便器は富裕層に使用されたそうです。この便器も非常に手が込んでますね。

33便所

こちらは西棟普請。帳場などがある東棟の西側にあります。東棟は1792年(寛政4年)の建造で、西棟は1835年(天保6年)に建造されました。この部屋は西玄関に付属する部屋です。

21西棟普請

その奥の部屋はつなぎの間。次の間や主座敷の来客時にはお茶屋食事の準備をする部屋になります。そのため炉が切られており、茶の湯が点てらることもありました。ちなみに炉は真ん中の畳の右下のところを外すとあります。

23控えの間
この西棟にある御成玄関。吉田家住宅の3つ目の玄関で、身分の高い人用です。吉田家の記録によると、吉田家住宅は3度本陣として使用されました。主客は中庭、次の間を通って主座敷に座ったと思われます。

25御成玄関

こちらが中庭。

24中庭

中の間と次の間の間にある部屋。奥に見えるのは次の間と主座敷です。

26中の間の隣の部屋

これは廊下になるんでしょうか。右側には主座敷があります。

34たぶん主座敷

そしてこちらの部屋が次の間。控えの間ともいいます。

35控えの間

主座敷に付属する部屋で、主客の家来などが控えました。

36控えの間

次の間の釘隠し。形は菱に河骨(ひしにこうほね)です。

37控えの間の釘隠し

こちらが主座敷。本陣の主客の間であり、吉田家住宅では「晴れ」の間という位置づけです。日常や私事の「け」に対して「晴れ」は非日常や公を指すそう。お盆や正月など季節の行事などが行われたそうです。

38主座敷

主座敷の付書院。彫刻も見事ですね。

39主座敷

またこのお部屋では2005年9月5〜6日にかけて将棋の王位戦第5局が行われました。佐藤康光棋聖が羽生善治王位に挑戦したシリーズです。この対局は先手の佐藤棋聖が133手で勝利。最終的には4勝3敗で羽生王位が防衛されました。

40主座敷

主座敷と次の間の欄間は渋いですね。

41主座敷

主座敷の釘隠し。形は葵花菱(あおいはなびし)です。

42主座敷の釘隠し

主屋二階

こちらは主屋の二階。

43二階板の間

これはむしこ窓といって、外から見ると虫カゴのように見えることからそう呼ばれます。格子は木や竹に縄を巻いて芯にし、練土を塗って漆喰で仕上げてあります。引き戸は木製ですが外面に漆喰を塗って防火対策を施してある。盗難除けや部屋の明かりとり、換気の役割を持っています。

44虫籠窓

この東棟は板の間になっており倉庫などに利用されていました。

45二階板の間

この東棟は寛政期に造られたそうで、現在は資料などが展示してあります。

46二階板の間

こちらは中の間の箱階段の明りとり。格子窓からの光を箱階段まで届かせるためにあります。

47明りとり

南棟には畳の部屋。

48二階

こちらは慶応期に建造されました。

49二階北の間

この畳の部屋は主人や家族の部屋として使用されたそうです。

50二階東の間

二階東の間の釘隠し。形は花角(はなかど)です。

51二階東の間の釘隠し

こちらは二階西の間。ご主人の部屋です。藍商の経営はもちろん、地主としての仕事や町民の相談事などもされていました。

52二階西の間

二階西の間の欄間。

53二階西の間の欄間

54二階西の間の欄間

釘隠しの形は七宝(しっぽう)です。

55二階西の間の釘隠し

右手には押入れと床の間。

56二階西の間

窓側から見た西の間です。

57二階西の間

付書院では記念写真もできるようでした。

58二階西の間

裏手


吉田家住宅を売られから見たところ。

59外観

吉田家住宅には船着き場跡も残っています。昔はこのあたりまで吉野川が流れていたんですね。

60外観

実は3回も増築している吉田家住宅。もとの建物は1792年(寛政4年)の建造で、1860年(安政7年)に東棟を増築。1835年(天保6年)に西棟、1865年(慶応元年)には南棟が増築されました。次第に事業が大きくなっていったんでしょうね。当時の脇町の藍商を知るための貴重な建物となっている吉田家住宅。見どころも多いので、時間に余裕があれば見学するのがオススメです。

  • スポット名
    吉田家住宅
  • 料金
    大人510円
  • 住所
    徳島県美馬市脇町大字脇町55番地
  • 徳島県美馬市脇町大字脇町55番地
  • 電話番号
    0883-53-0960
  • 営業時間
    9:00~17:00
  • 休業日
    12/27~1/1
  • 駐車場
    道の駅の駐車場を利用

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