まさに偉人 田中正造の旧宅|栃木県佐野市

生誕の地

栃木県佐野市にある田中正造旧宅に行ってまいりました。こちらは旧宅の向かいにある田中正造生誕の地。それと同時に田中正造の分骨地でありお墓になってます。

01生誕の地1

阿弥陀堂

生誕地の隣りにある阿弥陀堂。かつては田中正造の父が勉強を教えていたそうです。

01生誕の地2

田中正造旧宅

そしてこちらが田中正造旧宅。道路拡幅工事の影響でもとの場所より4メートルほど下がっています。

02外観1

表通りから見えているのは隠居所と表門。明治の初期に田中正造は医師を招き、母屋を無償で提供して村の診療所としました。隠居所は両親に老後はゆっくりと暮らしてほしいと建てたものです。

02外観2

田中正造の足跡

田中家は祖父の代から名主を努めており、父の跡を継ぎ17歳の若さで六角家領の名主となります。(名主は六角家の人というわけではなく、人から選ばれてなるものだったそうです。)県会議員をへて国会議員となり、衆議院当選は6回。一度も落ちたことはありませんでした。活動が忙しくほとんど帰ってこなかった正造。妻・カツと一緒に住んだのは三年ほどといわれています。

田中正造といえば足尾銅山鉱毒事件を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。足尾銅山では外国の技術を取り入れ銅の生産を大幅に拡大。1885年(明治18年)ごろから渡良瀬川の汚染が深刻になってきました。1890年(明治23年)と1896年(明治29年)の大洪水で汚染された川の鉱毒が農地を汚染。農民は生活ができなくなっていました。

田中正造年表

1900年(明治33年)には政府に被害を訴えるために上京しようとした住民と警察が衝突した川俣事件が発生。

1901年(明治34年)10月23日、田中正造は国会議員を辞職し足尾銅山鉱毒事件の解決のため直訴を決意します。天皇がご覧になることを想定し、幸徳秋水(思想家、新聞記者)に直訴状の作成を依頼。同12月10日、帝国議会から帰路につかれた明治天皇の馬車に田中正造は近づきます。不敬罪(天皇の名誉や尊厳を冒涜する罪)による死罪も覚悟しての行動でしたが、足が悪かったためつまづいてしまい、警察に取り押さえられてしまいました。このときの直訴状は京都国立博物館が所蔵しています。

しかし不敬罪には問われず、新聞や号外で詳しく報道され社会的な反響を呼びます。世論を無視できなくなった政府は谷中村をなくして遊水地をつくる計画を立案。鉱毒事件の解決にならないことを悟った正造は、64歳にして谷中村に移り住み村民と一緒に抵抗しました。そして1913年(大正2年)9月4日、志半ばで病に倒れこの世を去りました。

04隠居所4

隠居所

隠居所は商店風の造りになっていて、実際に父・富造と正造が雑貨店を営んでいたそう。

04隠居所1

この本日休業の札は雑貨屋を営んでいた時に実際に使用されたものです。

04隠居所2

先ほども少し触れましたが、隠居所には様々な資料が展示されていました。田中正造は雪印創業者ともつながりがあったそうですよ。

04隠居所3

隠居所に滑車があったため、家の中に井戸があったことが判明。

04隠居所6

妹・りんが嫁ぎ先で井戸からの水汲み(当時は嫁の仕事)が大変そうだったのを見て、家の中に井戸を設けたそうです。ちなみにりんの長男、原田定助(嫁ぎ先の原田家は糸を扱う商人)は正造の活動をささえました。しかし、後に商売に失敗してしまったそうです。

04隠居所5

隠居所の階段はかなり急。

05隠居所2階1

二階は寝室として使っていたそうです。

05隠居所2階2

けっこうな広さがありました。

05隠居所2階3

ただちょっと天井が低かったです。

05隠居所2階4

田中正造は身長約158センチ。体重は67.5キロほどの体格だったそうです。子供のころは相撲が強くガキ大将でした。珍しい石の収集が趣味という一面もあります。衣服にはこだわらず、食事も粗末なもので満足していました。お酒は59歳でやめましたが、タバコは好んでいたそうです。

05隠居所2階5

二階にも田中正造についての展示がありました。

05隠居所2階6

サルスベリ

庭にあるサルスベリは唯一、当時から残る木。他の植物は人の証言などから再現してあります。

06さるすべり

表門

通りからも見えていた表門。腕木門というつくりです。門からは母屋(診療所)へ一直線に行くことが可能。横には雪隠(トイレ)があります。

07表門 便所

母屋

こちらが母屋。昭和初期に座敷を残して解体修理され、このときに藁葺屋根から瓦葺となります。さらに平成の道路拡幅工事の際に現在の屋根の形になりました。

08母屋1

母屋の構成は土間・ヒロマ・ザシキ・ネドコとなってます。

08母屋2

入口の戸は大きく開く大戸。大勢の人が来る時や荷物を運ぶときなどに使っていました。

08母屋3

こちらは土間になります。

08母屋4

土間の窓は無双窓。

08母屋5

母屋には様々な物が展示してあります。

08母屋6

土間の次にあるヒロマ。

08母屋7

田中正造は1874〜1876年(明治7〜9年)に、酒造屋兼酒屋の蛭子屋の番頭をしていたそう。主人から商売に向いていないといわれ退職したそうです。

08母屋8

遺品である藤椅子には「明治一三年一月吉日」の自筆文字があります。この藤椅子は近所の方の蔵から発見されました。昔の人は物を大事に使っていて、すぐに名前を書いていたそうです。

08母屋9

田中正造は自筆の書が残っていて、母屋に展示してあります。展示内容はたまにかわるとのこと。この句の読み方は「今よりハ 片手の声の音すなり 両手たたかで 鳴り亘るまで 丙午仲冬書す 正造」。

08母屋10

お金を借りた時に返せなかったりして、一筆とったといわれています。遺品は正造がなくなってから徐々に周りの方から集まってきたそう。お金には困っていたみたいですね。この句は「浪人の首にかけたる頭陀袋 後には天下握りめし入れ (二十八年)正造」。

08母屋11

向かって右手にあるザシキ。床の間があり一番格式が高いお部屋になるでしょう。

08母屋12

向かって左手はネドコ。

08母屋13

「真の文明ハ山を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。古来の文明を野蛮ニ回らす。今文明ハ虚偽虚飾なり、私怨なり、露骨的強盗なり」の詩。

08母屋14

この詩は子どもの使いふるしのノートに書いてあったものだそう。そのノートは現在、京都国立博物館が所蔵しています。こちらはレプリカ。

08母屋15

土蔵

母屋の裏手にある土蔵。民具展示室となっています。

09土蔵

旧宅のその後

農業の発展や教育に役立てて欲しいという田中正造の意志で、旧宅は小中町に寄付されました。正造が亡くなる直前のことです。1913年(大正2年)8月10日、隠居所に集まった小中村の住民は小中農教倶楽部を設立。病床の正造に報告しました。そのため現在も田中正造旧宅は小中農教倶楽部が維持・管理を行っています。

母屋は診療所の医者に無償で医者に提供されていたため、田中正造没後に小中農教倶楽部が買い戻しました。その後は管理・維持のため借家として人に貸し出していたそうです。

隠居所は昭和初期の修理をへて、1949〜1982年(昭和24〜57年)まで公民館として使われました。佐野市の公民館第1号です。わりと最近まで使われていたんですね。ちなみに公民館として使用されていた間も母屋は借家として使われており、人が住んでいたとのこと。戦前は東京から疎開してきたお医者さんが住んでいたそうです。

浄蓮寺

田中家の菩提寺である浄蓮寺。田中正造旧宅から近く、歩いて5分くらい。ここには分骨地の一つとして田中正造のお墓があります。

ちなみに分骨地は浄蓮寺と生誕地を含めて6ヶ所。その他は分骨地として、まずは春日岡山惣宗寺。佐野厄除け大師としても有名なお寺で、田中正造の本葬が行われたそうです。かつては鉱毒対策の事務所がありました。

次に雲龍寺。さきの川俣事件で農民が集結したお寺です。

そして旧藤岡町にあり唯一・神社として祀られている田中霊祠。正造が谷中村遊水池反対運動を行っていた場所です。結局、谷中村は遊水池となりました。

5つめは埼玉県加須市にある北川辺霊場。川辺は遊水池反対運動によって遊水池を免れたそうです。

そして第六の分骨地が寿徳寺(足利市野田)。葬儀の際に勝手にお骨を持って帰って祀ったそうで、1989年に分骨地として公表されました。

10浄蓮寺

弱い立場の人のために自分の地位を捨ててまで奔走した田中正造。死を覚悟しての直訴などそうそうできるものではありません。偉人とはまさに田中正造のような人をいうんでしょうね。このような方の話こそ語り継いでいかなければならないと思いました。

  • スポット名
    田中正造旧宅
  • 料金
    300円
  • 住所
    栃木県佐野市小中町975
  • 栃木県佐野市小中町975
  • 電話番号
    0283-24-5130
  • 営業時間
    10:00〜16:00
  • 休業日
    月水金・お盆・年末年始
  • 駐車場

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