東郷元帥を奉る多賀山公園|鹿児島県鹿児島市
多賀山公園
鹿児島県鹿児島市にある多賀山公園に行ってまいりました。祇園之洲公園からもほど近く、東福寺城跡も含む広大な敷地を持つ公園です。
肝付兼重奮戦の跡
第一駐車場と第二駐車場の間くらいにある肝付兼重奮戦の跡の石碑。肝付家は平安時代以降に大隅半島を治めていた豪族です。南北朝の動乱の際に兄である兼尚が不在であったため、兼重が肝付家を率いて南朝側に立って戦いました。現在の宮崎県に位置した保院高城を陥落された後、東福寺城にこもり島津軍と8ケ月にも渡って奮戦したそうです。肝付家は16代兼続のころには南大隅から日向の南部まで版図を拡大させますが、その後は島津家の一家臣となりました。
東福寺城跡
こちらは東福寺城跡への入口。
東福寺城跡をグルっと回ってくると、こちらが出口となります。
多賀山公園内
多賀山公園は緑が豊か。
園内はきれいに整備されています。
石を削って造ったかのようなこんな道もありました。
園内にあった保存樹。立派な木です。
木の根が階段のほうまで伸びています。私には分かりませんが、この辺りは東福寺城だったころの名残もあるんでしょうか。
東郷平八郎元帥のお墓
多賀山公園の左よりにある東郷平八郎元帥のお墓。皆さんご存知、東郷元帥は薩摩藩出身の幕末から明治にかけての大日本帝国海軍軍人です。最終階級は元帥海軍大将。ようは海軍のトップですね。かの有名な日本海海戦において、東郷元帥は司令長官として連合艦隊を指揮。当時無敵と謳われたロシアのバルチック艦隊を破りました。
この日は雲がかかっていましたが、東郷元帥のお墓の前からは桜島も望めます。
お墓のすぐそばにあった聖将之碑。
こちらの石版には東郷元帥の碑についての説明が書いてありました。
東郷平八郎元帥の銅像
そしてこの階段の上には東郷元帥の銅像があります。
この階段、かなりの傾斜。
この急な階段を乗り越えて東郷元帥の銅像を間近で拝むことができるのです。
東郷元帥の銅像付近にあった石碑。何が書いてあるかは私には全く分かりませんでした。
この銅像の場所からも桜島を展望することができます。
この銅像への道は階段だけでなく、スロープを通って行くことも可能。危ないので、帰りはこのスロープを通りました。
多賀神社
せっかくなので、公園のすぐそばにある多賀神社にも参拝してまいりました。この山は多賀山と呼ばれていますが、多賀神社がその名の由来。多賀山にある神社だから多賀神社ではなく、多賀神社があるから多賀山なんです。
境内内の様子。台風の後ということもあり、少し草木が散乱していました。
先ほどの鳥居の反対側の入口。狛犬が鎮座しています。
向かって右側にある阿形(あぎょう・口を開いている)の狛犬さん。角がないです。
左側にあるのは吽形(うんぎょう・口を閉じている)の狛犬さん。角があります。もともとは阿形は口を開けていて角があり、吽形は口を閉じていて角があったそう。ただし鎌倉時代後期以降は簡略化されていき、昭和時代以降に作られたものは阿吽とも角がないそうです。こちらの狛犬さんは古い形式のものですね。
こちらが多賀神社の拝殿。多賀神社は島津家16代当主・義久が近江の多賀大社の御祭神が寿命の神様であることを知り、薩摩に同様のお社がなかったことから建立した神社。天正17年2月16日に近江の多賀大社から御分霊を遷魂し、この地に鎮座されました。当主・義久の薩摩の民の保命を願う想いがこもった神社なんですね。
戦前戦中は参拝者も多く、子宝に恵まれなかったご夫婦が子宝を授かったり、重傷者が一命をとりとめたりと有り難いご利益をもった由緒ある神社です。若輩者ではありますが私も参拝させていただきました。
- スポット名多賀山公園
- 住所鹿児島県鹿児島市清水町32
- 鹿児島県鹿児島市清水町32
- 電話番号099-216-1366(鹿児島市公園緑化課)
- 駐車場有(46台)
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