島津家の別邸!仙巌園|鹿児島県鹿児島市
秀成荘 徒然庵
こちらの建物は茶室 秀成荘 徒然庵。
1988年(昭和62年)に建てられた茶室だそうです。
徒然庵の先には緑の芝生が広がっていました。
そしてそこからは桜島が見えます。この日は残念ながら雨模様でしたが、なんとか桜島のお姿を拝むことができました。
曲水の庭の周辺
曲水の庭の下の様子。
曲水の庭へと続く階段。この階段は映画やドラマのロケにもよく使われるそうです。
曲水の庭
こちらが曲水の庭。江戸時代の形がそのまま残っている貴重な庭です。実は1959年(昭和34年)に発掘されるまで、長い間火山灰に埋もれていました。その後の調査で曲水の庭であることが判明。怪我の功名ですね。
ばくちのき
この木はばくちのき(はだかのき)といって、温暖な地域に自生する珍しい種類。5月ごろに樹皮が剥がれ落ちて紅黄色の幹肌いなるそうでうす。皮が剥がれる様を博打に負けて身ぐるみ剥がされる姿にたとえてバクチの木と名付けられたとのこと。ちょっと気の毒な名前ですね。
江南竹林
こちらは江南竹林。1736年(元文元年)に21代当主島津吉貴は中国の孟宗竹を琉球王国から2株取り寄せ仙巌園に植えました。孟宗竹の筍は美味で、ここから全国に広がったそうです。
江南竹林からみた保津川。とても風情があります。
風情のある階段
江南竹林から水道橋へと向かう階段。
保津川
こちらは水道橋。
水道橋から見た保津川。
保津川は場所によって様々な表情を見せてくれますね。
御庭神社
御庭神社の燈籠。1847年(弘化4年)に造られたこの燈籠には、天保の財政改革で知られる調所広郷など奉納者の名前が刻まれています。
江戸時代、島津家には鹿児島城や仙巌園の他にも多数の別邸がありました。その別邸などに散在していた13の神社を明治時代に仙巌園に移します。1918年(大正7年)に合祀したのがこの御庭神社です。
御庭神社の近くからは保津川に降りることもできます。降りなかったですけど。
大池
大池付近の様子。
この時は小雨が降っていました。
望嶽楼
この建物は望嶽楼といって、江戸時代初期に琉球国王から薩摩藩に贈られたと伝わるものです。床にはゼンと呼ばれる敷き瓦が273枚も敷かれているそう。島津斉彬と勝海舟がこの望嶽楼で対面したこともあるそうです。
ヤクタネゴヨウ
この大きな木はヤクタネゴヨウ。屋久島と種子島に自生する松で絶滅危惧種に指定されている貴重な木です。この木は樹齢約350年と推定され、幹囲5.4メートル、樹高21メートル。日本一の大きさと考えられています。
御殿
池の向こうにたたずむ御殿。19代島津光久以降、歴代当主に受け継がれてきました。1871年(明治4年)の廃藩置県で島津家の人々は鹿児島城から仙巌園に移り、1884年(明治17年)には大改修が行われています。現在は約三分の一の建物が残っているそうです。
錫門
この鮮やかな色の門は錫門。屋根は錫の板だそうです。江戸時代には正門として使われていました。
この朱色の門は位の高い人しか建てることが許されず、江戸時代には当主と世継ぎしか通れなかったということです。
猫神
御殿から少しの場所にある猫神。関ヶ原の合戦、島津の退き口で有名な17代当主・島津義弘。彼は陣中で猫の瞳孔の開き具合から時刻を推測したという逸話があり、「時の神様」といわれています。また百日咳にもご利益があるそうです。
尚古集成館
仙巌園の隣にある尚古集成館。
島津家に関する資料や薩摩切子、薩摩焼などを展示している博物館です。残念ながら館内は撮影不可。この建物は1865年に建てられたもので重要文化財に指定されています。
隣りには別館もありました。
仙巌園は庭や建物なども立派で見どころも多いです。それだけでなく鹿児島や、鎌倉時代から江戸時代まで薩摩を治めた名門中の名門・島津家の歴史の足跡にも触れることができるスポットでした。
次のページには曲水の庭の写真をまとめました。
- スポット名仙巌園
- 料金大人(高校生以上) 1,000円 小・中学生500円
- 住所鹿児島市吉野町9700-1
- 鹿児島市吉野町9700-1
- 電話番号099-247-1551
- 営業時間8:30〜17:30
- 休業日年中無休
- 駐車場バス 50台まで駐車可 1日 1,000円 乗用車 500台まで駐車可 1日300円
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