島津家の別邸!仙巌園|鹿児島県鹿児島市
入口には島津義弘公の鎧
鹿児島県鹿児島市にある仙巌園に行ってまいりました。島津家の別邸跡と庭園があり、別名は磯庭園ともいわれています。入口付近にあった島津義弘公の鎧(複製)。
150ポンド砲の復元
こちらは鉄製の150ポンド砲の復元。28代当主・島津斉彬公が西洋式の反射炉や溶鉱炉などを建設し、鉄製の大砲を製造しました。1857年(文政4年)に鉄製150ポンド砲が完成したとされています。また薩英戦争(1862年8月15〜17日:生麦事件の補償を迫る英国とこれを阻止しようとする薩摩藩が鹿児島湾で衝突した戦争)時には城下にあった2門の150ポンド砲が威力を発揮しました。
反射炉の模型
当時の反射炉の模型。反射炉は燃焼室で燃料を燃やし、その熱を壁に反射させて熔解炉の鉄を溶かすもの。日本初の反射炉は佐賀藩で、続いて薩摩藩が建設しました。薩摩藩の反射炉は先の薩英戦争で損傷して取り壊され、現存していません。この模型は実際の大きさの四分の一の大きさで復元されているそうです。
反射炉跡
こちらはその反射炉跡。規模の大きさが分かりますね。薩摩藩の反射炉はオランダの技術書を応用して作られ、高さは20メートルほどあったそうです。
ここからは炉床の下の構造を見ることができます。アヘン戦争で中国がイギリスに敗れ、島津斉彬は日本が西欧諸国の植民地になるのではと危機感を抱いていました。近代軍備を整えるべくこの反射炉を建設したのです。
反射炉跡の石碑。
山神様・水神様
反射炉跡近くに祀られている山神様・水神様。江戸時代中期に作られたといわれる祠です。
山階宮大妃えい歯髪碑
こちらは山階宮大妃えい歯髪碑。29代当主島津忠義の娘・常子はここ仙巌園で生まれ育ち、皇族の山階宮菊麿王に嫁ぎました。死後、故郷であるこの地に歯と髪が埋められたということです。
柑橘類コーナー
反射炉跡から少し進んだところにある柑橘類コーナー。薩英戦争後の和平交渉の際に、薩摩側がイギリス側に温州みかんを差し入れ、それを喜んだイギリスのニール公使がイギリス本土に報告。これ以来、イギリスでは温州みかんをSATSUMAと呼ぶようになったそうです。
そこから進むと左側に石垣。様々な植物が生えています。
近代薩摩発祥の地
こちらは近代薩摩発祥の地と刻まれた石碑。極東の宝石といわれ、西欧諸国ではSATSUMAと呼ばれ重宝された近代薩摩焼はここで誕生したそうです。
この建物は示現流・薬丸自顕流展示室。中には薩摩藩士の精神的支柱となった示現流についての展示があります。
島津家水天渕発電所記念碑
こちらは島津家水天渕発電所記念碑。江戸時代、薩摩藩は佐渡金山と並んで称されていた山ヶ野金山がありました。1907年(明治40年)、近代的な技術で採掘するにあたり電気が必要となったため、現在の霧島市隼人町に水天渕発電所を建設。1983年(昭和58年)に九州電力から建物の一部を記念碑として譲り受けたものです。これは建物の一部だったんですね。
その傍にあった溜池にはお賽銭が入れられていました。
正門
正門の右側にあった蔵。
そしてこちらが正門。1895年(明治28年)に建てられたもので、薬医門という形式です。裏山で採ったクスを使用し、門内上部には島津家の家紋である丸十紋と桐紋があるそうです。
正門はNHK大河ドラマ、篤姫のロケ地としても使われました。
正門の左側にあった蔵。
仙巌園
そしてその先がいよいよ仙巌園です。
仙巌園は1658年(万治元年)19代当主・島津光久によって造られた島津家の別邸。中国江西省の景勝地、龍虎山仙巌がその名の由来です。落成祝の際に2羽の鶴が舞い降りたことから喜鶴亭ともいわれました。
この燈籠は獅子乗大石灯籠。その名の通り獅子が乗っています。
仙巌園は桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた借景庭園。壮大なスケールですね。1958年(昭和33年)には国の名勝に指定されました。
ちょっと南国っぽい木も生えてました。
庭園のすみのほうにあったこの建物は宝物庫だそうです。
庭園内を進んだ先にある祥福橋。
この川は保津川というそうです。
水力発電用ダム跡
こちらは水力発電用ダム跡。
仙巌園内の電気は近くにあった近代工場群・集成館から送電されていましたが、1892年(明治25年)にここにダムを築いて水力発電を行うようになりました。日本の草創期の水力発電設備です。
- スポット名仙巌園
- 料金大人(高校生以上) 1,000円 小・中学生500円
- 住所鹿児島市吉野町9700-1
- 鹿児島市吉野町9700-1
- 電話番号099-247-1551
- 営業時間8:30〜17:30
- 休業日年中無休
- 駐車場バス 50台まで駐車可 1日 1,000円 乗用車 500台まで駐車可 1日300円
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