天空の現存天守!備中松山城|岡山県高梁市
そしてこちらが本丸となります。
本丸南御門の両脇には五の平櫓(写真左)と六の平櫓(右)。六の平櫓は休憩室兼展示スペースとなっています。
本丸南御門から見て左手にある七の平櫓跡。
実は備中松山城は長い歴史があり、その起源は鎌倉時代の1204年(延応2年)。地頭だった秋庭三郎重信という人物が砦を築いたことにはじまります。現存する天守は1683年(天和3年)に水谷勝宗が修築したもの。江戸時代の比較的初期から現存していることになります。
天守に向かって右手にある本丸東御門。
実は天守の右手にある脇道は散策することができます。
天守の右後方にある腕木御門。
そして天守の背後にある二重櫓。二重二層(2つの屋根で2階建て)で、南北の出入り口は北が後曲輪、南が天守裏に通じています。天守と同様に当時から現存している二重櫓。重要文化財に指定されています。
天守
そしていよいよ天守の中へ。備中松山城の天守は二重櫓と同じく二重二層ですが、天守のほうが大きい造りになっています。
ここは接続廊下といわれる場所。ここは一階ではなく天守と八の櫓(さっきの二重櫓)をつなぐ廊下です。ちなみにここから先はスリッパに履き替えてから入城。
接続廊下の石落とし。石落としとは建物の一部をせりだして、登ってくる敵に鉄砲や弓、石などで攻撃するための防御設備です。
そしてこちらが天守の一階。
様々な資料が展示してあります。
ここにあるのは囲炉裏。籠城時の食事や暖房用に使われたといわれています。
基本的に軍事施設である天守に生活用の設備があるのはとても珍しいこと。江戸時代の直前や江戸時代に建造されたお城は実戦がなかった場合も多いです。しかし、この備中松山城は実際に戦があった経験から囲炉裏があるのでしょう。軍事施設とはいえ、何にも無いとさすがに不便ですよね。
一階の天井。素人目には複雑に入り組んでいるように見えます。
こちらの窓は連子窓(武者窓)といって、正方形の角材の角が外側を向いています。そうすることで敵は城内が見えにくく、中からは外がよく見えるという仕組み。すごい知恵ですね。
半分戸が閉まってますが、こちらは狭間。鉄砲や弓矢で敵を攻撃するための穴です。狭間は外の城壁側は小さく、内側は大きい穴になっています。外からの攻撃は受けにくく、内からの攻撃をしやすいようにするための工夫です。
ここは装束の間。籠城時の城主一家の居室で、床下には石を入れ忍びが侵入できないようになっています。また戦に敗れた場合、城主一家はここで自決するため装束の間と呼ばれるのです。
ここにはテレビが置いてあり、備中松山城についての紙芝居が放映されていました。
二階への階段。
踊り場もあります。けっこう急なので気をつけましょう。
こちらが天守の二階。最上階になります。
奥にはお城の守護神をお祀りした御社壇。
最上階はほぼワンルームとなっています。
二階の天井。梁は少し湾曲していて、これは真っ直ぐのものよりかなりの強度があります。
標高480メートルの臥牛山の山頂に建つ備中松山城の天守。現存している天守の中では圧倒的に高い場所にあります。と同時に築城にはそれだけ労力もかかったんでしょうね。場所的に維持管理も大変だと思いますが、今後もこの姿を保っていただきたいです。
天守を見学後は二の丸でお昼ご飯。城見橋公園駐車場にあった売店で買ったお弁当です。
実はふごい峠駐車場から天守へは2つのルートがあり、行きは登山道のような細い道を登りました。帰りは舗装された道を歩いてみたところ、景色がよかったです。ただ、お城に着くまでの雰囲気としては登山道のような細い道のほうが楽しめるでしょう。
岡山の中心から離れている場所にあるためか、現存天守の中でものんびりと観光できる備中松山城。現存する建物は3つですが、そこへ行くまでの道中を楽しめるお城で、個人的にはオススメのスポットです。
- スポット名備中松山城
- 料金大人300円
- 住所岡山県高梁市内山下1
- 岡山県高梁市内山下1
- 電話番号0866-21-0217
- 営業時間(4月~9月)9:00〜17:30(10月~3月)9:00〜16:30
- 休業日12/29〜1/3
- 駐車場有
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