戦前まで天守が現存していた広島城|広島県広島市
原爆によって焼失してしまった広島城
広島県広島市にある広島城に行ってまいりました。広島城は毛利輝元が築いた平城で、名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に数えられています。広島城は原爆で、そして奇しくも名古屋城と岡山城の天守も空襲によって焼失しました。残念でなりませんね。
こちらの裏御門跡から中へと進みます。
現在は公園として整備されている広島城の敷地。かつては大小天守に88の櫓がある壮大なお城でした。戦前までは天守や櫓、城門などが現存していたそうです。
こちらは広島大本営跡。1894年(明治27年)8月に日清戦争が勃発し、条件がよかったことから9月に大本営が広島に移されました。
そのため明治天皇も7ヶ月ほどこちらに滞在されたそうです。
その後も広島大本営跡として建物が保存されていましたが、原爆により倒壊。現在は礎石のみ残っています。広島大本営跡の跡ということになりますね。
こちらは旧天守の礎石。天守台より移設したものということです。
原爆によって焼失してしまったので建物は全く残っていませんが、石垣は残っています。
どこのお城でもたいてい石垣は残っているので、石ってすごいですね。
こちらが現在の広島城の天守。戦前までは大天守が現存しており、旧国宝保存法では国宝に指定されていました。しかし原爆の投下によって倒壊。現在の建物は鉄筋コンクリート構造ですが、外観復興天守ということで見た目は当時のものが再現されています。
ここは中御門跡。
道がクネッとなっているのは敵の侵入を防ぐためでしょう。
こちらは二重二層(2つの屋根で2階建て)の太鼓櫓。二階部分に太鼓が置かれていて、時間を知らせていました。
こちらは表御門。二の丸の入口にあたる門で、上層に櫓がある櫓門といわれる形です。
外から見た表御門。手前に架かっている橋は御門橋です。そして向かって右にあるのが平櫓。1階建ての櫓です。
そして平櫓と太鼓櫓を結んでいるのが多門櫓。多聞とは櫓と櫓をつなぐ長屋造りの建物で、防御設備を持った廊下のようなものです。
表御門、太鼓櫓、平櫓、多門櫓は平成に入ってから復元されました。戦前までは現存していたということで、本当に残念ですね。
現在では徐々に復元が進んできた広島城。ですがその前の出来事も忘れてはいけないですね。
- スポット名広島城
- 料金大人370円
- 住所広島県広島市中区基町21番1号
- 広島県広島市中区基町21番1号
- 電話番号082-221-7512
- 営業時間(3月~11月)9:00~18:00(12月~2月)9:00~17:00
- 休業日12/29~12/31
- 駐車場有料駐車場が有
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