豪商が建てた豪邸!吉島家住宅|岐阜県高山市
酒造業の豪商だった吉島家の住宅
岐阜県高山市にある吉島家住宅に行ってまいりました。1788年(天明8年)に初代重兵衛が高山に出てきたところから、高山における吉島家の歴史がはじまります。代々酒造業を営んできた吉島家。そのため軒先には杉玉が下がっています。1905年(明治38年)の火災により残念ながらもとの建物は焼失。現在の建物は名工といわれた西田伊三郎らによって再建されました。そして国の重要文化財に指定されています。
入ってすぐにあるのは吹き抜けのスペース。
明治に入ってからの再建ということで、江戸時代にあった軒高制限が解除されていたためより豪壮な造りとなっています。
吉島家の中でも特に見どころでもある土間の吹き抜け。
大黒柱を中心に立体的な格子が構成されており、高窓からの光によって様々な表情を見せてくれます。一見何気ないんですけど、すごく粋なはからいがなされているのです。さすが名工の仕事ですね。
二階
まずは二階から見学。こちらは洋間です。
洋間の隣にある和室。
天井が曲線を描いています。細かいところまで手が込んでいますね。
その奥にある少し上段にある6畳の和室。
こちらは天井が途中で少しカクっと曲がっています。
洋間からみて左手にはさらに上段の和室があります。
上段にある和室から見た階段の間。
階段の間の天井も途中から角度が変わっています。
上段にある和室の手前の部屋。
天井は入口から見て格子は横に入っています。
こちらは上段の奥にある和室。
天袋と床の間があります。
天井は入口からみて縦に格子が入っていました。手前の部屋と奥の部屋で天井の形が変えてあります。さすが名工の仕事ですね。
一階
一階に戻ってこちらは”みせ”という部屋。
みせの入口から見て左手には茶室が続いています。
こちらは茶室の床の間。
茶室側から見た縁側です。
庭には雪が積もっていました。寒波がきていてとにかく寒かったこの日。私もけっこう厚着していったのですが、寒くて寒くて足がキンキンに冷たくなってしまいました。こんな寒い中、昔の人はどうやって生活していたんでしょうか。そう思わざるをえませんでした。
縁側の先には蔵があります。蔵は非公開でした。
どういう意味かは分かりませんが、こちらはなづきという部屋。縁側や庭の手前にあります。
左手を見ると次の間がありました。
なづきの先にあるのは仏間。現在、仏壇はありませんでした。
こちらは次の間。なづきや仏間などの隣にあります。
次の間の床の間と押入れ。押入れのふすまが何だかオシャレですね。
こちらは本座敷。一番格式が高い部屋になるでしょう。天袋に違い棚、床の間に付書院を備えています。
ここは土間の隣にあった部屋。
こちらは茶の間でしょうか。2つ部屋がありました。
柱にあった釘隠し。この形は何なんでしょうね。
吹き抜けのスペースにあった”だいどこ”。今でいう台所だと思います。
土間を挟んで反対側にある”むかいだいどこ”。向かい側の台所でしょう。ここでは吉島家住宅を紹介する映像が流れています。
土間の奥は今風でオシャレな空間になっていました。
アメリカの建築界の巨匠、チャールズ・ムーアが来日した際に、庭園は京都の西芳寺(別名は苔寺、世界遺産)、建築ではこの吉島家住宅をあげて絶賛されたという逸話も持つ明治の商家。建造されてから100年以上もたっていますが、堂々なお姿です。温かい時期には縁側でのんびり昼寝や読書をされる方もいたっしゃるとか。地元の方にも親しまれているスポットのようです。
- スポット名吉島家住宅
- 料金大人500円
- 住所岐阜県高山市大新町1-51
- 岐阜県高山市大新町1-51
- 電話番号0577-32-0038
- 営業時間(3月〜11月)9:00〜17:00(12月〜2月)9:00〜16:30
- 休業日12月から2月の火曜日(祝日は営業)、12/29〜1/1
- 駐車場近隣に有料駐車場が有り
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