島津家の後詰めの城 東福寺城跡|鹿児島県鹿児島市
現在は公園になっている東福寺城跡
鹿児島県鹿児島市にある東福寺城跡に行ってまいりました。この階段から向かいます。
この水たまりは水取手。昔はここから水を汲んでいたんでしょうか。
水取手付近からみた街の風景。錦江湾が見えます。
東福寺城跡は多賀山公園の敷地内となっていて、歩道は整備されています。
しかし、私が来る数日前に台風が上陸しており木々が散乱。
木の根があらわになっていました。
ところどころにこういった広場があります。
椅子も設置してあったりしました。
階段を上へと登っていきます。
右手に石垣が見えてきました。これは城があった頃の名残なんでしょうか。それとも公園を整備する過程でつくられたのか。階段との調和がとれすぎている気がしますね。
その石垣の上は休憩所となってました。
この休憩所からは桜島が望めます。雲がかかっていましたが、いい景色でした。
そこからさらに階段を登ります。
何やら石碑が見えてきました。
「島津氏居城東福寺城跡」と刻まれています。
石碑の後ろにある広場には石段みたいなものが残っていました。燈籠みたいなものもあります。昔はこの場所にお屋敷などがあったんでしょうか。
東福寺城は海側は絶壁で、その他も急な斜面となっているため山自体が天然の山城。島津家といえば僕の中では信長の野望の影響か、内城のイメージが強いです。島津家はもともとは平地にあった清水城を居城としていて、島津貴久の時代に内城へ移りました。その清水城、内城の後詰めの城が東福寺城ということです。(後詰とは本隊の後ろに控える援軍的な軍のこと。)いざという時のために居城の城の後ろに控えている東福寺城ですが、実はその歴史は古い。はじめの築城は1053年と伝わっていて、薩摩・大隅・日向(鹿児島・宮崎)で初の城といわれています。
島津忠恒(家久)が1602年(慶長7年)に居城を鹿児島城に移したさ際に、この東福寺城も役目を終えました。1053年の築城から約550年もの間、重要な役目を果たしてきたのです。
ここが頂上なので、ここからは下りになります。
この辺は行きに通った道に比べてまだきれいでした。
イノシシ注意の看板。イノシシがでるんですね。
この広場も何かの跡でしょうか。
公園内とはいえ山の中なので暗くなってきたら、慣れてない人だと怖いかもしれません。
ただちゃんと整備されているので歩きやすいです。
ここから降りてきました。
下ってきたところか見た桜島。
今まで有名なお城などを見てきて、もちろんそれはそれで素晴らしいのですが、観光地は大抵の場合きれいに掃除も行き届いています。ただ実際にお城が機能していたころはそんなにきれいじゃなかったはずですよね。
この日は台風の後だったので特に荒れてましたが、実際はこんなもんだったんじゃないでしょうか。昔を偲ぶにはいいスポットだと思います。
- スポット名東福寺城跡
- 料金無料
- 住所鹿児島市清水町
- 鹿児島市清水町
- 駐車場有(多賀山公園の駐車場)
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