みちのくの玄関口!奥州三関の一つ白河の関跡|福島県白河市
かつて東北地方の玄関口であった白河の関跡
福島県白河市にある白河の関跡に行ってまいりました。奥州三関の一つに数えれる白河の関。奈良時代から平安時代に関所が置かれており、とても重要な役割を担っていました。ここから先がみちのく(陸奥国)で当時でいうところの東北地方(陸奥国と出羽国)になります。最も有名な関所といっても過言ではないでしょう。

こちらが関所跡への入口。

この大きな木は従二位の杉。鎌倉時代の歌人、従二位藤原宮内卿家隆が植えたと伝わる杉です。樹齢は約800年。周囲は約5メートルという巨木です。

その近くにあった石碑。私には何が書いてあるのか分かりませんでした。

ここには桜の木が生えており、旗立の桜といわれています。1180年(治承4年)に源義経が平家追討のため平泉を出発するさい、戦勝祈願のために参拝しました。そのときに源氏の旗を立てたと伝えられています。

それでは白河神社へと向かいましょう。

参道の両脇には狛犬さんがいました。


白河神社の参道。

こちらの石碑は古関蹟の碑(こかんせきのひ)。1800年(寛政12年)8月に当時の白河藩主、松平定信によってこの場所が白河関跡と断定され建立されたものです。平安時代中期ごろにはその機能を失っていたと考えられる白河の関。近世に入る前から白河の関の場所は分かっておらず、江戸時代後期になってようやく判明したようですね。昔の人も昔の事が知りたくて調査していたのでしょう。

こちらの木は幌掛の楓(ほろかけのかえで)。源義家が前九年の役で白河の関を通過するときに、この楓に幌をかけて休憩したといわれています。

白河神社の鳥居。

参道はさらに続いています。

その途中にあった矢立の松の跡。さきほどの1180年(治承4年)に源義経が平家追討のため白河神社に戦勝祈願に参り、その時ここの松に矢を射立てたと伝わっています。現在は根株が少し残っているだけです。

白河神社のお社の前の狛犬さん。


こちらが白河神社の拝殿になります。

そしてその奥には本殿がありました。

その近くにあった古歌碑。平兼盛や能因法師、梶原景季の歌が刻んであります。白河の関は関所の機能を失ってからも、京都の文化人のあいだでは和歌の名所として憧れの地となっていました。松尾芭蕉も白河の関にたどり着いた時には喜びの歌を詠んでいます。

空堀跡
長らく正確な場所が分かっていなかったくらいですから、建物等は残っていない白河の関跡。

現在では空堀跡と土塁跡が残っています。

空堀は敵の侵入を防ぐための防御設備。

何も知らなかったら見過ごしてしまいそうですが、確かに人為的ですよね。

空堀はけっこう広範囲にしっかりと残っていました。

白河の関跡の一番の見どころでもあると思います。

土塁跡
こちらは土塁跡。

曲輪の縁に土を盛って、敵の侵入を防ぐための防御設備です。

空堀や土塁に囲まれた広場。かつてはここに関所などの建物があったんでしょうか。それだけ重要な場所だったということですね。

白河関の森公園
白河の関跡に隣接する白河関の森公園には売店やレストランなどがあります。なんと相撲道場もあるようでした。

こちらは松尾芭蕉と河合曽良の像。河合曽良は松尾芭蕉の弟子で、奥州の旅に同行しました。

ここは芝生広場。

そのそばには水車小屋があります。

水車小屋の中。広いですね。

こちらはわんぱく広場。お子さんが喜びそうなカラフルな遊具がたくさんありました。

公園内にある池。

奥に見えるのは江戸時代の関所。

おそらく再現された建物だと思います。

実は中にも入れる江戸時代の関所。けっこうな広さがありました。

縁側も長いです。

こちらはふるさとの家。白河の古民家でしょうか。

こちらも中に入ることができます。

ここは床の間があるのでおそらくお座敷。

お座敷の前の板の間です。

台所でしょうか、奥には囲炉裏があります。

白河の関跡に来て古民家が見れるとは思っていませんでした。

重要な関所であり、京都の文化人の憧れの地でもあった白河の関跡。昔はそう簡単に移動できなかったので、実際に訪れた人はごくごく僅か。今では一般人の私ですら簡単に来ることができるんですから、いい時代になったものですね。
- 料金無料
- 住所福島県白河市旗宿関ノ森 国指定史跡 白河関跡
- 福島県白河市旗宿関ノ森 国指定史跡 白河関跡
- 電話番号0248-32-2921
- 営業時間見学自由
- 休業日見学自由
- 駐車場有
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