最小の現存天守!石垣の名城 丸亀城|香川県丸亀市
石の城ともいわれる丸亀城
香川県丸亀市にある丸亀城に行ってまいりました。丸亀城は亀山に築かれた平山城。亀山の標高は66メートルということですが、石垣がすごくてもっと高い山にあるように見えますね。丸亀城は石垣の名城で、石の城ともいわれます。現在の丸亀城の基礎を築いたのは1641年(寛永18年)に入国した山崎家治。1643年(寛永20年)に着工しましたが、山崎家治は完成を見ることなく死去。その後は山崎家が断絶していまい、1658年(万治元年)に京極高和が入国します。そして1660年(万治3年)、ついに丸亀城が完成しました。

内堀にある石垣もすごい丸亀城。

当時の石垣がしっかりと残っているように見えます。

内堀内は204,756平方メートルもあるそうです。

それでは大手二の門から城内へ行きましょう。

こちらの大手二の門は高麗門という形式で、国の重要文化財に指定されています。

大手二の門内の枡形から見た大手二の門。

その枡形で丸亀市のマスコットキャラクター、京極くんに会うことができました。

こちらは大手一の門。大手二の門と同じく重要文化財に指定されています。

大手一の門は上部に櫓がある櫓門。かつては楼上に太鼓を置き、城下に時間を知らせていたことから太鼓門ともいわれています。

正面から見て右手にある玄関先御門。薬医門という形式で、京極家の屋敷の表門になります。

そのそばにあるあやめ池。

玄関先御門には隣接して番所長屋があります。玄関先御門と番所長屋はともに有形文化財。

それでは天守に向かってこの見返り坂を登ります。

この三丿丸北側の石垣は城内で最も高く、その高さは20メートル以上。

そして特にこの角のところは曲線になっており、扇の勾配といわれています。

扇の勾配を見ながらこの坂を登って三ノ丸へ。

三ノ丸
こちらが三ノ丸です。海抜は約50.5メートル。

ここは月見櫓跡です。写真の左手に見えているのは讃岐富士。月見によい場所であったために月見櫓と呼ばれています。

この建物は延寿閣別館。麻布にあった京極家の江戸屋敷の一部を移築したものです。内部は大名の生活がしのばれるよう当時のままだそうですが、中に入ることはできないようでした。

三ノ丸から見た二ノ丸の石垣。

三ノ丸からは搦手(裏手)にも行くことができます。

こちらは栃の木御門跡。

下から見るとこんな感じです。

下から見た搦手の石垣。

これは三ノ丸の石垣です。

丸亀城がある亀山は標高の低い山ではありますが、こうして見るとやっぱりすごい場所に建っているのが分かりますね。

これは三ノ丸井戸。山崎家時代からある井戸ですが、現在は空井戸になっています。抜け穴伝説があるとか。

三ノ丸の隅櫓跡。三ノ丸にはもうひとつ戌亥櫓跡がありますが、私が行った時には立ち入れなくなっていました。戌亥櫓は明治2年の火災で焼失し、その焼跡が石垣に残っているということです。

このあたりの石垣も扇の勾配になっとりますね。

三ノ丸から見た天守。

ここは二ノ丸の搦手。

現在、草がぼうぼうですが昔は道があったんでしょう。

二ノ丸搦手から見た天守。

三ノ丸からの景色も最高です。

中央に見えるのは讃岐富士。

それでは二ノ丸へと向かいます。

二ノ丸へと続く道はクネっとなっていました。

二ノ丸
こちらが二ノ丸跡。

これは二ノ丸井戸で、城内で最も高い場所にある井戸です。深さは約65メートル。昔、羽坂三重郎という男がおり、裸になって一生懸命働くことから裸三重とよばれ丸亀城の石垣完成に貢献しました。殿様(生駒正親説や山崎家治説がある)は石垣を見て「さすがは三重の築いた石垣。この石垣を登れる者はあるまい。」と喜びました。ところが三重郎は「私なら鉄棒があれば登れます。」と言うではないですか。実際に鉄棒を使って簡単に城壁を登ってしまいました。殿様は三重郎が敵方に通じることを恐れます。井戸の底を探らせるという嘘の命を下し、その間に石を落として殺してしまいました。その井戸というのがこの二ノ丸井戸です。

こちらは二ノ丸隅櫓跡。

二ノ丸の石垣の上。

二ノ丸内より少し高くなっています。

それではいよいよ本丸へと向かいましょう。

ここの坂を登っていきます。

本丸
こちらが本丸。丸亀城の最高地点です。

- スポット名丸亀城
- 料金大人 200円
- 住所香川県丸亀市一番丁
- 香川県丸亀市一番丁
- 電話番号0877-25-3881
- 営業時間9:00〜16:30
- 休業日無休
- 駐車場有
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