松尾芭蕉と与謝蕪村ゆかりの金福寺|京都市左京区

松尾芭蕉 与謝蕪村 村上たか女にゆかりのある金福寺

京都市左京区一乗寺にある金福寺(こんぷくじ)に行ってまいりました。少し分かりにくい場所にありますが、近隣には案内板が出ているので大丈夫だと思います。

01看板

こちらが金福寺の入口。

02入口

受付の方が不在の場合はこの木の板を叩いて知らせます。珍しいですね。

03受付

864年(貞観6年)に安恵僧都(あんねそうず)により創建された金福寺。とても歴史があるお寺なんですね。

04門

本堂の前の参道。

05庭

脇には与謝蕪村の歌碑がありました。「花守は野守に劣るけふの月 西と見て日は入りにけり春の海」と刻んであります。

06与謝蕪村歌碑

本堂

こちらは金福寺の本堂。中にはお寺に伝わる様々な物が展示してあります。

07本堂

こちらは与謝蕪村による芭蕉翁像。1780年(安永8年)、当時64歳だった与謝蕪村が金福寺のために描いたものだそうです。与謝蕪村は松尾芭蕉をとても尊敬していました。

08蕪村筆芭蕉翁像

こちらは木彫二体。向かって右は朝倉直繁による「芭蕉の旅姿」、左は石本暁海による「蕪村の像」ということです。

09木彫二体

与謝蕪村愛用の文台と重硯。文台の表には蕪村による「双石を画き波紋を写し、便面に梅或は松を模するを法とす。今ことごとく其繁を省て疎を尚ぶと云。蕪村」の文字があります。

10蕪村愛用の文台と重硯箱

こちらは与謝蕪村の作である「洛東芭蕉庵再興記」。松尾芭蕉を尊敬していた与謝蕪村は芭蕉庵の荒廃に心を痛め、1777年(安永5年)に芭蕉庵を再興し、再興記を金福寺に書き残したということです。

11蕪村筆洛東芭蕉庵再興記

与謝蕪村作の「江山清遊の図」。

12蕪村筆江山清遊の図

こちらも与謝蕪村作の「奥の細道画巻」。オリジナルは重要文化財に指定されており、これは複製です。

13蕪村筆奥の細道画巻

この絵は「たか女晒し者の図」。幕末の大老、井伊直弼の不遇だった時代の愛人であった村上たか女。井伊直弼が大老になると京都で隠密となり、長野主膳を通して尊王攘夷派の情報を密告していました。安政の大獄に加担したと恨まれ、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると尊王攘夷派の志士に捕らえられました。三条河原に生晒(いきざらし)にされましたが、3日後に助けられ尼層となります。そしてここ金福寺で余生を過ごされました。

14たか女晒し者の図

こちらはその村上たか女が祀った福巳塔。たか女は巳年(へびどし)生まれで、九死に一生を得たのは蛇を使いとする弁財天のご加護と信じていました。

15たか女が祀った福巳塔

この鬼瓦はたか女が建立した弁天堂のものです。

16鬼瓦

こちらは井伊直弼による和歌。「旦緩々(しばらくかんかん) 柴の戸のしばしと云ひ てもろともにいざ語らはん 埋火のもと」と書いてあります。

17井伊直弼筆和歌

こちらは長野主膳像。長野主膳は井伊直弼の和歌の師匠で、直弼の政策に尽力。しかし桜田門外の変後に彦根藩(井伊直弼は彦根藩主の家柄)の尊王攘夷派に首をはねられました。

18長野主膳像

村山たか女が長野主膳に宛てた密書。

24村山たか女書状

これで情報を伝えていたんですね。

25村山たか女密書

たか女の筆跡類。尼僧として暮らしていた時に書き残したものです。

19たか女の筆跡類

こちらも村上たか女の直筆。

20たか女の筆跡

この牡丹の刺繍は村上たか女が59歳のときのもの。たか女はもともと芸妓さんだったそうです。

21牡丹の刺繍

村上たか女が弁天堂を建立したときの棟札。棟札は建築や修築の記録を書いて、高い場所に付ける札です。

22棟札

こちらが金福寺の内陣。ご本尊は観世音菩薩です。金福寺は安恵僧都が慈覚大師円仁の意思をついで建立したお寺で、ご本尊は円仁作ということです。

23御本尊 観世音菩薩像

本堂内にはボタンが置いてあり、これを押すと説明を聞くことができました。

26ボタン

芭蕉庵

27庭

本堂を見学したあとは芭蕉庵へと向かいます。

28庭

こちらが芭蕉庵。松尾芭蕉が京都を旅していたころ、金福寺の鉄舟和尚がいた草庵に訪れたさいに親交を深めました。鉄舟和尚は草庵を芭蕉庵と名付けたということです。

29芭蕉庵

松尾芭蕉は金福寺にて「うき我を さびしがらせよ かんこ鳥」という句を詠みました。さびしい鳴き声で私をもっとさびしくさせてくれ、とかっこうに呼びかけたという意味です。

31芭蕉庵

芭蕉庵の天井。

32芭蕉庵

その後、与謝蕪村が訪れたときには芭蕉庵は荒廃。それを惜しんだ蕪村は芭蕉庵を再興し、芭蕉庵再興記を書き残しました。芭蕉庵を再興したさいに、蕪村は「耳目肺腸ここに玉巻く芭蕉庵」「三度鳴きて聞えずなりぬ鹿の声」「鹿ながら山影門に入日かな」「畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ」「冬ちかし時雨の雲もここよりぞ」「我も死して碑にほとりせむ枯尾花」の句を詠んだそうです。

30芭蕉庵

右手の大きな木はやまもも。樹齢は300年を超えるそうです。

33やまもも

こちらは松尾芭蕉の石碑。与謝蕪村が建立したもので、芭蕉を称える文が刻まれています。

34芭蕉の碑

これは翁の水。鉄舟和尚が芭蕉をもてなした時に使ったと伝えられる井戸です。

35翁の水

与謝蕪村のお墓もありました。芭蕉庵を再興したときの残した句に「我も死して碑にほとりせむ枯尾花」があったため、ここにお墓があるということです。

36与謝蕪村のお墓

隣には与謝蕪村の句が紹介してありました。

37与謝蕪村の句

こちらは村上たか女の参り墓。当時、金福寺は圓光寺の末寺であったため本墓は圓光寺にあります。

38村山たか女の参り墓

他にもたくさんの石碑がありました。

39石碑

芭蕉庵の近くから見た本堂と庭。

40庭

帰り際に発見した弁天堂。村上たか女が建立したものです。

41村山たか女建立の弁天堂

たまたま近くまで来たので寄ってみたというのが正直なところだった金福寺。京都の有名な観光スポットに比べれば知名度はなさそうですが、歴史好きにはたまらないお寺だと思います。

  • スポット名
    金福寺
  • 料金
    大人 400円
  • 住所
    京都府京都市左京区一乗寺才形町20
  • 京都府京都市左京区一乗寺才形町20
  • 電話番号
    075-791-1666
  • 営業時間
    9:00~17:00
  • 休業日
    12/30~12/31, 1/16~1/31, 8/5~8/20
  • 駐車場
    2台

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