ザビエル上陸の地!祇園之洲公園|鹿児島県鹿児島市
祇園之洲公園
鹿児島県鹿児島市にある祇園之洲公園に行ってまいりました。石橋記念公園の隣にある公園です。こちらは西南戦争官軍慰霊塔。西南戦争は薩摩軍、官軍合わせて13,240人もの方が犠牲になりました。この事実を忘れてはいけませんね。
祇園之洲砲台跡
こちらは祇園之洲砲台跡。薩英戦争時にここにあった砲台からイギリスの軍艦へ砲撃しました。
砲台跡はグルっとこちら側まで続きます。人的被害はイギリス軍のほうが多数で、イギリス艦隊の撃退には成功しました。しかしイギリスの誇るアームストロング砲の威力は凄まじく、この祇園之洲砲台はもとより鹿児島城下の被害は甚大。西洋の実力を知った薩摩藩はこれを機に開国へと動き出したということです。
石碑
大正11年3月に鹿児島市によって建てられた石碑。
玉江橋
その先にあった玉江橋。かつて甲突川に架かっていた五つの橋の一つです。
玉江橋は一番上流にあり、最後に造られた石橋。中心地から離れたいたため交通量も多くなく、一番狭くて建設費も一番安かったそうです。
松
公園内に生えていた立派な松。
薩英戦争の記念碑
こちらは薩英戦争の記念碑です。
こちらは公園内にあった保存樹。
保存樹
高麗橋
そして公園の中央にある高麗橋。1847年(弘化4年)に造られた橋です。
実は甲突川に架かっていた五つの橋(甲突川五石橋)は近年までもとの場所で現存していました。しかし1993年(平成5年)の鹿児島大水害により新上橋および武之橋が流出。
残った3つの橋はここ祇園之洲に移設し、保存活用されています。
岩永三五郎
甲突川五石橋は薩摩藩8代当主・島津重豪が肥後の石工・岩永三五郎を招いて造られました。地元である肥後にも数々の橋を架けた名工です。
永安橋と書かれた石碑はどういった意味があるんでしょうか。
ザビエル上陸の地
この南国風の道を通って海岸のほうへと行けます。
その先にあるのはザビエル上陸記念碑。そう、ここはあのフランシスコ・ザビエルが最初に上陸した場所なのです。
皆さんご存知の通り、日本にキリスト教を伝えたザビエル。航海の途中は飢餓と疫病に苦しみ、ようやく日本へとやってきたそうです。案内したのはマラッカ(マレーシア)で合流した鹿児島出身のパウロ・ヤジロー。この時代にマラッカに日本人がいたんですね。当時の島津家当主・島津貴久に歓迎されて布教活動を初めます。
またここには我は海の子の歌碑もありました。
海岸からは桜島も見えます。この日は残念ながら雲がかかっていました。
この海岸から見た錦江湾。
祇園之洲公園の中心から少し離れた場所にひっそりとあったザビエル上陸記念碑。日本の歴史からしたら重要な場所です。この時代にはるばる日本へ来るなんて相当な覚悟でしょうね。そしてキリスト教はその後の日本に大きな影響をあたえます。ここはその始まりの場所なわけです。
- スポット名祇園之洲公園
- 住所鹿児島県鹿児島市浜町1番3号
- 鹿児島県鹿児島市浜町1番3号
- 電話番号099-248-6661 (石橋記念館)
- 営業時間常時開放
- 休業日無料
- 駐車場普通車79台 バス2台
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