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うこぎ垣と武家屋敷|山形県米沢市
芳泉町にあるうこぎ垣と武家屋敷群に行ってまいりました。
旧武家屋敷群とうこぎ垣
関ヶ原の戦いで敗れた西軍に味方していた上杉景勝は、会津120万石から米沢30万石へ減封となります。しかし上杉家は家臣団の召し放し(いわゆる解雇)を行わなかったため、一部の家臣団を城下町に収容できませんでした。そのため下級武士は郊外に屋敷を構えて農業もしていたそうです。
ここ芳泉町の武家屋敷群もその下級武士の町の一つ。垣根にはうこぎ(五加木)という植物が用いられています。うこぎの新芽は食用になり、てんぷらやうこぎ飯として食べていたそうです。
昔の屋敷が残っていなくても、うこぎ垣は残っていて当時の面影がありました。
伊藤家
こちらは伊藤家のお屋敷。伊藤家は御扶持方(扶持米や給金をもらう立場)だったそうです。
後藤家
こちらは後藤家のお屋敷。もともとは針重家のお屋敷だったそうです。
この芳泉町の地域に貢献した針重幸主はこちらのお屋敷にお住まいでした。
南部家
南部家のお屋敷。後藤家と同じく御扶持方でした。
美人として有名だった南部ゑいの生家ということです。
茅葺きの家
通り沿いには他にも茅葺きの古い家が残っていました。
特に案内はなかったのですが、おそらく武家屋敷でしょう。
蛇堤
近くには大河ドラマで有名になった直江兼続が造った蛇堤もありました。治水事業の一環として造られた物だそうです。
かまた食堂へラーメンを食べに行く途中でたまたま見つけた武家屋敷群。完全にノーチェックだったのですが、昔の建物を見ることができて良かったです。
- スポット名武家屋敷
- 住所山形県米沢市芳泉町
- 山形県米沢市芳泉町
- 駐車場無
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