豪商!廻船問屋のお屋敷 旧鐙屋|山形県酒田市
廻船問屋のお屋敷
山形県酒田市にある旧鐙屋に行ってまいりました。鐙屋は1608年(慶長13年)に藩主最上義光から鐙屋の屋号を賜った鐙屋惣左衛門がひらいた廻船問屋。
酒田三十六人衆の一人として地元にも貢献し、山形藩や米沢藩の蔵宿(有料で品物を保管する業者)も勤めました。その繁栄は井原西鶴の日本永代蔵にも記されています。こちらの大戸口から中へ。
屋敷内
大戸口のそばにあった垣立(かきたつ)。船の左右に垣根のように立てるものだそうです。
大戸口の右手にあるのは店(たぶん”たな”と読む)。奥には上之間、次之間があります。
大戸口から左手の奥は住居。こちらは三之間。
そして次之間、上之間と続きます。
かつて最上川には舟が往来していて、内陸部からは米や紅花、小豆、大豆、漆、蝋、真綿、葉タバコなどが運ばれてきました。また酒田からは塩や干し魚、陶器、お茶、雛人形、古着、鉄、小間物などを内陸部へ運んだそうです。酒田は北前船で栄えた町なので、上片(京都や大坂)からの戻り船で文化が入ってきており、雛人形もその一つです。
この絵はおすわり大祭事の様子。1840年(天保11年)、幕府は庄内藩(現在の鶴岡市と酒田市あたり)の長岡へ転封の沙汰をだします。これに対して各地で反対一揆がおこり、転封は中止。それを祝って催されたのがおすわり大祭事ということです。
こちらの部屋の釘隠し。
大戸口から見て三之間の奥にある中之間。
その先には四畳半の部屋があります。
ここには山王祭の傘鉾などが展示してありました。
こちらは袋類。
巾着などもあります。それぞれ手が込んでいますね。
四畳半の先にある八畳の部屋。
床の間には掛け軸があります。
大戸口から見て左側の縁側。
中之間や四畳半の奥には茶之間があります。
茶之間に展示してあった竹久夢二の中山晋平民謡曲13 港踊。
茶之間の先には納戸(物を置く部屋)。
納戸は奥にもあって2部屋あります。
この容器はなんでしょう?実はハエ取り器だそうです。中にお酒や砂糖水を入れておくとハエが出られなくなるとのこと。
茶之間の奥のこの部屋は台所になるそうです。
そのためか囲炉裏がありました。
台所の先にある納戸。
こちらは枕箱。昔の人は髪を結っていたので、それがくずれないように使っていたそうです。
土間にあった木箱。上の字はどういう意味なんでしょうね。
同じく土間にあった北前船の模型。船は江戸時代の物流に大きな役割を果たしたしました。
こちらは土間にある台所。当時の様子が再現してあります。
これはかき氷器とのこと。
こちらは箱膳といって一人分の食器をしまっておくそうです。
土間にあった和傘。傘ひとつとっても趣がありますね。
大戸口から向かって右側にあるお庭。
土間の奥にある下屋です。
裏戸口から外に出ると井戸がありました。
鐙屋の建物は1845年(弘化2年)の大火で消失しその直後に再建。酒田の典型的な町家造りのお屋敷だそうです。その大きな特徴は石置杉皮葺屋根。下地に茅を敷いて土を載せ、杉皮を葺いて平たい石を敷き詰めてあります。
土蔵
こちらは土蔵。
土蔵も中に入ることができます。
中には商売に使っていた道具など様々な物が展示してありました。
酒田の町の繁栄を垣間見ることができる旧鐙屋。近くには本間家旧本邸もあるので、あわせて見学されるといいでしょう。
- スポット名旧鐙屋
- 料金大人320円
- 住所山形県酒田市中町1丁目14−20
- 山形県酒田市中町1丁目14−20
- 電話番号0234-22-5001
- 営業時間9:00〜16:30
- 休業日(12月〜2月)月曜日※祝日の場合は翌日(2月〜11月)無休 12/29〜1/3
- 駐車場市役所駐車場を利用可
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