石庭が超有名!世界遺産 龍安寺|京都市右京区
細川勝元が造った龍安寺
京都市右京区にある龍安寺(りょうあんじ)に行ってまいりました。正式には大雲山龍安寺といいます。1450年(宝徳2年)、徳大寺家の別荘だった場所を管領(かんれい:室町幕府で将軍に次ぐ役職)・細川勝元が譲り受け、龍安寺を創建しました。ちなみに細川勝元と山名宗全が対立して応仁の乱が起こります。応仁の乱によって京の都や荒廃。室町幕府の権威は失墜しました。
入口となる山門をぬけるとすぐそこに広がるのが鏡容池。
参道の途中には手水舎がありました。
鏡容池に浮かぶ弁天島。ここには七福神で唯一の女性の神様である弁財天が祀られています。実は水の神様でもある弁財天。よく神社やお寺で池に浮かぶ島に弁天堂があるのもそのためです。
弁天島から見た鏡容池。
こちらは参道にあった石の大仏です。
参道を進んで石庭がある方丈へ向かいます。
こちらが方丈へとつながる庫裏。庫裏(くり)はお寺の台所です。
庫裏の入口の前に飾ってあった屏風。
こちらは石庭を再現したミニ石庭です。
方丈
こちらは方丈。元の方丈は1799年(寛政9年)に火災によって焼失しました。現在の建物はその火災の際に塔頭(境内にある小寺)の西源院方丈を移築したもので、1606年(慶長11年)の建立。重要文化財に指定されています。
方丈の正面の扉。
足元には獅子のような彫刻が施されていました。
方丈を横から見たところ。かなりの広さがあります。
各部屋のふすまには絵が描かれていました。ちなみに非公開ですが方丈の広間には龍の襖絵があるようです。
かつてここには狩野派(日本最大の画家集団。室町時代中期から江戸時代末期まで活躍)による襖絵がありましたが、明治の廃仏毀釈によって失われてしまいました。
現在の絵は皐月鶴翁によって描かれたものです。
方丈にあった釘隠し。釘隠しはその名の通り釘の頭を隠す装飾金具です。この形は六葉。6つの葉が並んでいて、その間がハートマークに見えるのが特徴です。最も一般的な釘隠しの形でしょう。
石庭は方丈の前に広がるのですが、私が行った時間はめちゃくちゃ込んでいましたので先に方丈を一周することにしました。
この廊下の向こうは仏殿です。
こちらは方丈の裏手にあるつくばい。つくばいは庭にある手水鉢(ちょうずばち)のこと。このつくばいには上から時計回りに、五・隹・疋(上の棒がない)・矢の四文字が書かれています。そして中央には正方形の穴があいている。これを字として読むと、「吾唯足知(吾唯足るを知る:ワレタダタルヲシル)」という意味になります。言葉遊びのようですね。これは水戸黄門で有名な水戸藩主・徳川光圀の寄進といわれています。
裏手にあった釘隠し。形は同じ六葉ですが、黒字に金で豪華なバージョンです。
石庭
そしてこちらがかの有名な石庭。龍安寺イコール石庭といってもいいくらいイメージが定着している、シンボル的な存在です。
1500年ごろ(室町時代末期)に禅僧によって作庭されたと伝わる石庭。東西に25メートル、南北に10メートルの敷地に白砂を敷き詰めて15個の石を配してあります。
昔の日本庭園はたいていの場合、その造形には意図がありその解釈も伝わっています。しかし実はこの龍安寺の石庭は意図も解釈も分かっていません。見る人の解釈に委ねられているのです。知らなかった。
また石庭を囲む油土塀は菜種油を混ぜた土で作られ、時間とともに色合いが変わってくるそうです。
帰路
方丈と石庭を見たあとは境内をグルッと回って山門へと戻ります。こちらは勅使門。この奥に石庭や方丈があります。
こちらはおそらく仏殿の門。
参道の脇には木々が生い茂っています。
こちらはパゴダ(ミャンマー式の仏塔)。こちらにはビルマで犠牲になった旧日本軍の方が祀られています。
ここは桜苑という場所。春には桜が咲き誇るんでしょうね。
鏡容池まで戻ってきました。
この石は水分石(みくまりいし)。”みくまり”とは流れてくる水が分かれる所という意味だそう。この石はおそらく分岐点のような意味があるのでしょう。
石庭は有名なお庭だけあって、日本人や外国人をとわず多くの人がいらっしゃってます。みさなん、方丈の縁側に座って石庭を眺めていました。時間帯によっては人が少ないこともあるようなので、のんびり見たい方はそこを狙って行くのもいいかもしれないですね。ただいつが空いているかは私には分かりませんです。
- スポット名龍安寺
- 料金大人 500円
- 住所京都市右京区龍安寺御陵下町13
- 京都市右京区龍安寺御陵下町13
- 電話番号075-463-2216
- 営業時間(3月~11月)8:00〜17:00(12月~2月)8:30〜16:30
- 休業日無休
- 駐車場有
トップページへ
週間ランキング
ランキングをもっと見る