天下の名城!小田原城|神奈川県小田原市
難攻不落の城としても名高い小田原城
神奈川県小田原市にある小田原城に行ってまいりました。小田原城の起源は15世紀の中頃。そのころ小田原地方を治めていた大森氏が最初に城を築いたとされます。16世紀初頭には北条氏の居城となり、次第に拡張されていきました。天下の名城としても有名で、小田原評定(いつまでたっても結論が出ない会議)という言葉の由来にもなっています。
こちらの馬出門から城内へ。
馬出門は三の丸から二の丸へと向かう正門です。1672年(寛文12年)に改修されてからは江戸時代まで現存していました。ということは現在の門は復元ですね。
この近辺から見た隅櫓。
馬出門の枡形(敵の侵入を防ぐ防御施設)からは天守がちょっぴり見えました。
馬出門のもう一方の門を通って進みます。
こちらはおそらく隅櫓の跡。昔は建物が建っていたと思われます。
馬出門の先にあるのが馬屋曲輪。
こちらは馬屋跡。馬屋は登城者が馬をつなぐための建物です。ここにあった馬屋は徳川将軍専用だったと考えられています。
ここの住吉橋が架替中だったため、渡ることができませんでした。この先には銅門(あおがねもん)があります。
こちらは南堀の大賀ハス。1979年(昭和54年)に大賀ハスを株分けして繁殖したものだそうです。夏には花が咲き、泥の中にはレンコンを作るとか。
この門がさきほどチラッと見えた銅門。二の丸の表門で、登城ルートにあたります。扉の飾り金具に銅を使用していたことからこの名がつきました。現在の建物は1997年(平成9年)の復元。
銅門も馬出門と同じく枡形門となっています。ここに侵入してきた敵を四方八方から攻撃するのです。
小田原城にとって重要な門である銅門。大きな造りになってますね。
1673年(延宝元年)に建てられたといわれる二の丸隅櫓。近世に入っても小田原城の建物として唯一現存していましたが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊。その後に再建されました。
こちらは本丸東堀跡。現在は盛り土でお堀の形を再現されています。
階段を登って本丸へ。
こちらは常磐木門。本丸の正面にあり、城内で最も大きくて堅固な造りになっています。1870年(宝永3年)の小田原城廃城までは現存していましたが、廃城にともなって解体。現在の建物は1971年(昭和46年)に再建されたものです。
そしてこちらが小田原城の天守。天守も1870年(宝永3年)の小田原城廃城までは現存していたようです。
実は天守にも色々な種類があり、小田原城の天守は復興天守。復興天守は天守の存在は確実だけど資料が乏しいため、同じ場所に他のお城を参考として建てられた天守になります。
こちらは小峯曲輪北堀。一見すると何の変哲もないのですが、実はお城の遺構なのです。言われてみればお堀のようですね。石垣を使わない土塁と空堀だけのお堀です。戦国時代の城にはよく見られた形で、今となっては貴重な遺構になっています。
報徳二宮神社
小田原城に隣接している報徳二宮神社。
小田原城を見学後に参拝してまいりました。
報徳二宮神社の狛犬さん。こちらは阿形。
こちらは吽形です。
境内にあった建物。
こちらが報徳二宮神社の拝殿です。
境内にあった二宮尊徳翁像。尊徳は”そんとく”といわれますが正確には”たかのり”だそう。通称は二宮金次郎です。二宮尊徳は幕末の農政家・思想家で、小田原藩の復興に尽力した方。ここは二宮尊徳をお祀りする神社のようですね。
天下の名城と謳われた小田原城。しかしその真価は城下町を含む総構にあります。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて改築された当時が最大の規模を誇り、全長9キロもあったそう。つまり天守の周辺だけ見ても小田原城の凄さは分からないのです。しかしそんな広大なお城を全て保存するというのも無理な話ですね。現在ある遺構から当時を偲ぶのもいいでしょう。
- スポット名小田原城
- 料金一般 500円
- 住所神奈川県小田原市城内6番1号
- 神奈川県小田原市城内6番1号
- 電話番号0465-23-1373
- 営業時間9:00〜17:00
- 休業日12月第2水曜日 12/31〜1/1
- 駐車場周辺に有料駐車場が有
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