一般人が行ける最北の地!宗谷岬|北海道稚内市
宗谷岬(丘の上)
北海道稚内市にある宗谷岬に行ってまいりました。日本の(現時点での実質的な)領土としては宗谷岬の上にある弁天島ですが、無人島なので基本的には行くことはできません。そのため宗谷岬が自由に往来できる最北端となります。
この高い塔は祈りの塔。1983年(昭和58年)に大韓航空機が樺太の上空を侵犯し、ソ連のミサイル攻撃を受け墜落しました。その犠牲になった方の慰霊碑です。
こちらは世界平和の鐘。平和を願う世界の国々から提供されたコインやメダルで鋳造されています。世界の全ての国の平和を願う鐘です。
この石碑は宮沢賢治文学碑。1923年(大正12年)に稚泊(ちはく)連絡船で樺太に渡って旅をし、その旅をもとに多くの詩を残しています。
こちらは宗谷海域海軍戦没者慰霊碑。宗谷周辺で殉職された旧日本海軍の方々を鎮魂する石碑です。1945年(昭和20年)に稚泊連絡船・宗谷丸を守るために撃沈された第112号海防艦の乗員152名の方を慰霊するために建立されました。
この変わった形をした石碑は平和の碑。1943年10月に旧日本海軍とアメリカ海軍の激戦があり、犠牲になった方のご家族などによって建立されました。
この建物は旧海軍望楼。1875年(明治8年)に樺太千島交換条約が締結され樺太はロシア領になりました。それに伴い宗谷は国境となります。
この望楼は1902年(明治35年)に旧日本海軍が建造したもので、最強といわれていたロシアのバルチック艦隊を監視する役割がありました。太平洋戦争でも潜水艦監視基地として使用されたそうです。
旧海軍望楼から見た宗谷海峡。確かに見晴らしがいいですね。
写真の中央にある三角の建物のところが最北端です。
こちらはあけぼの像。1971年(昭和46年)に北海道の牛乳生産100万トン、乳牛50万頭の突破を記念して建てられました。このあたりは明治時代に開拓が始まり農業が営まれていましたが、寒冷な土地のため酪農へ転換されました。先人の方々のお陰で今があるんですね。
こちらは宗谷海峡灯台。もちろん日本最北端の灯台です。1885年(明治18年)に点灯され今でも現役。宗谷海峡を見守っています。
日本本土の最北端の地
こちらは最北端の碑のそばにある間宮林蔵の立像。間宮林蔵は江戸幕府の隠密であり探検家です。幕府の命をうけて北方を探索。間宮海峡(樺太とユーラシア大陸の間)を発見して、樺太が島であることを確認しました。また地図で有名な伊能忠敬の事業にも貢献しています。この像は間宮林蔵が樺太へ向かう決意を固め、海を見る姿を表しているそうです。
そしてこちらが日本最北端の地の碑。一般の人が自由に行ける日本最北の場所に建っています。
日本最北の地にて記念撮影。この瞬間は日本で一番北にいる人になれます。ちなみにこの日は7月26日なんですが、(バイクに乗ってきたというのもあり)この格好でもけして暑すぎない。さすが最北端です。
最北端から見た宗谷海峡。
こちらは宗谷岬音楽碑。「宗谷岬」の歌の歌詞と楽譜が書かれています。
近くにあったトイレ。日本最北のトイレになるでしょう。
そして日本最北のお土産屋さんです。
日本人なら一度は来てみたい宗谷岬。国道238号(宗谷国道)を走っているとポッと日本最北端の地の碑が見えるような地形なので、岬という感じはあまりないかもしれません。それでもやはり日本最北端というのは感慨深いものがありました。
- スポット名宗谷岬
- 住所北海道稚内市宗谷岬
- 北海道稚内市宗谷岬
トップページへ
週間ランキング
ランキングをもっと見る