會津八一も暮らした北方文化博物館 新潟分館|新潟県新潟市
會津八一が晩年を過ごしたお屋敷
新潟県新潟市にある北方文化博物館 新潟分館に行ってまいりました。本館ではありません。
外からは立派な蔵も見えました。
北方文化博物館 新潟分館は主屋と洋館からなっており、こちらは洋館の玄関。
こちらが主屋の玄関で、入口はこちらになります。北方文化博物館 新潟分館は1895年(明治28年)の建造で、大正時代に七代伊藤文吉(新潟の豪農・大地主)が別邸として購入しました。戦後、夕刊ニイガタの社長となった會津八一が晩年を過ごしたお屋敷でもあります。
入ってすぐ右手に受付がありますので、まずはこちらでチケットを購入。
洋館(南浜秋艸堂)
まずは洋館から見学しました。こちらは中から見た洋館の玄関。この洋館は昭和3年の建築で木造二階建、寄席棟造り、桟瓦葺、外壁はモルタル仕上げです。
この花台は伊藤文吉時代からあるもので、そのまま會津八一も使用していました。
會津八一は歌人、書家で新潟名誉市民にもなられた方。恥ずかしながら私は存じ上げなかったのですが、新潟では知名度も高いんでしょうね。會津八一はこの洋館を南浜秋艸(しゅうそう)堂として暮らしました。
こちらは書斎兼応接間。書物や掛け軸などが展示してあります。
これは會津八一愛用の机ということです。
書斎兼応接間の左隣にある二畳の部屋。こちらは會津八一の養女であった蘭子さんの憩いの間ということです。
階段を登って二階へ。
踊り場の窓も趣がありますね。
二階にも書物や掛け軸などが展示されています。會津八一はこの二階を寝室として使われていました。
主屋
続いては主屋。六畳間と十畳間が続いています。主屋は木造平屋建、一部二階建、寄席棟造、桟瓦葺き。
欄間は松でしょうか。細かい彫刻ですね。
左手には神棚や仏壇、床の間などがありました。
主屋は庭の景色を楽しむために造ったと考えられており、それもあって十畳間からは庭を眺めることができます。
十畳間から玄関のほうを見たところ。
階段を登って二階へと向かいます。
二階の廊下。
こちらの二階は潮音堂と呼ばれるそうです。
手前の六畳間の床の間。
奥の六畳間の床の間です。詳しいことは分かりませんが、手が込んでいます。
二階からも庭の景色を楽しめそうですね。
一階に戻ってきて奥の部屋も見てみました。
奥の部屋にも床の間があります。
この部屋は庭に隣接していました。
庭
北方文化博物館 新潟分館は庭に降りることも可能。
せっかくなので少し散策してみました。
この待合は保存状態がよく、枯山水の庭と雰囲気が合っているということです。
ちょっと写真が暗いですが、こちらは清行庵という茶室。
主屋と土蔵のの間に建てられた本格的な仕様の茶室だそうです。大正末期の建築といわれ、手入れが行き届いている。良好な伝統的建築物と評価されています。
土蔵は大正4年12月の建築。二階床まではなまこ壁、その上は漆喰仕上げで、開き扉は重厚な造りです。梁間は2.5間、桁行き3.5間。こちらも保存状態がいいということです。
ちょっと分かりにくいですが會津八一の歌碑。「かすみたつ はまのまさこを かゆきかくゆき おもひそわかする」と刻んであります。
會津八一終焉の地というこちで歴史的にも価値がある北方文化博物館 新潟分館。建物の状態もいいということなので、今後も維持管理していただきたいですね。
- スポット名北方文化博物館 新潟分館
- 料金大人450円
- 住所新潟県新潟市中央区南浜通2番町562
- 新潟県新潟市中央区南浜通2番町562
- 電話番号025-222-2262
- 営業時間(4月〜11月)9:30〜17:00(12月〜3月)9:30〜16:30
- 休業日月曜日 年末 1月 2月
- 駐車場2台
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